Notes

『露』 2019.0903

今日は、御茶ノ水にあるニコライ堂へと出かけてきた。

と、いうのは

 

友人の日本正教会の水野神父が、来月から九州へと異動することになり、

当面彼にお会いすることはできないだろう、というのと、

 

彼は、大変愉快な人柄で、東方正教会についての電子書籍を出版するほど、正教会を知ってもらうための活動に熱心で、説明も大変お上手であるので、

彼がこちらにいる間に、ニコライ堂の案内をしてもらいたい、と思ったからである。

 

ちなみに、正教会とはキリスト教の一つで、ギリシャに始まった初代教会の信仰を正しくそのまま継承してきた唯一の教会なのだそうです。

日本正教会とは、ロシアのニコライ・カサートキンが1861年函館のロシア領事館付属聖堂の司祭として来日し教えを広めたところからスタートしたらしい。なので、ロシア正教会という言い方もするのだと思う。

 

実際の建物は、拝観料300円を支払って入館するのですが、

建物の屋根の部分は関東大震災で崩れた、とか

数多くある宗教絵画をイコンと呼び、聖書の場面を表していて描かれた時代や国によって画風が変わることや

ロシアでは、色を大事にする。聖母マリアの色はブルーとされていて、今回はたまたまマリアの式典があったあとだから、聖堂内がブルーで飾られていることや

イコンの飾り方のルール、

音楽の用い方、プロテスタントやカトリックとの違い

建築の形における各国の特徴

ろうそくや方角、光の意味合い

 

等々、たっぷりお話しを伺って、もう今日のその内容だけでエッセイが一本書けそうな具合である。

 

さすが、出版もされているだけあって、説明の奥深さもとても興味深かったし、

 

日本人イコン画家の女性、山下りんについてのお話しも、すごい内容だった。いやぁ、明治の時代に仕事を成し遂げた人というのは、気合の入り方が違う。チャイコフスキーが生きていた時代に女性単身でロシアに渡るんだもんな。この人のことは、今小説が連載されているらしい。そりゃあそうだ、だって大変ドラマティックだもの。

 

と、何もかもが非常に楽しかったニコライ堂でしたが、

個人的に一番印象深かったのは、

 

聖堂内の、いい香り。

 

なんでも、祭礼のときにお香を立てるらしい。司教さんが香をふりながら歩く、というふうにおっしゃっていた。

 

うーん、面白い。

 

たっぷり2時間お話しを伺って、帰りは神保町の「さぼうる2」で休憩して帰った。

そんな、今日でした。

『友』 2019.0902

毎日、山に行ったり、練習したり創作したり、という日々であるので、

いわゆるキラキラしていそうな、要するに”インスタ映え”するようなことはほとんど私の日常にない。

 

例えば、女子会というようなものも行ったことがないし、

仕事以外で友達と会う、ということがほとんどない。

 

なぜかというと、

 

私が思う友人とは、

 

一緒に音楽の舞台で芸術を緊張と愛情を抱きながら表現し合える仲間

 

という感じだから。

もちろん、音楽家でない友人という人とだったら、そんなことはないのですが。

 

でも、この一瞬を共に創り上げられる友人というのは、最高の友達だよな、と心から思うのです。

 

で、そういう人はいつも忙しいし、一番の会話は、やはり一緒に弾くこと。

 

だから、なかなかそれ以外では会わないんだよなぁ、たまに近況報告もするけどさ。やっぱ、音で確認し合いたいよね、だって、その曲への気持ちもやりたい事も、感性も何もかもそこで思い合えるもの!

 

だから、私が大事に思う友達ともっと仲良くなれるように、

そういう本番の機会を増やせるように、がんばろう、と思うのであります。

 

写真は、久しぶりに見つけたちょうど2年前の私。この日は、ブラックドレスを着て演奏して、ブラックスワンと呼ばれたのだった。

 

そんな、今日でした。

『歩』 20190901

先月のソロコンサートで、弾き方へのイメージが大きく変わったからなのか、

この春から始めた山歩きが功を奏して、健康的になってきたからなのかわからないが、

 

このところ、ずいぶんと子供の頃のような感覚と変化してきている。

 

大人になる、というのは、

童心を失う、とイコールなのではなくて、

 

あの頃好きだったもの、その動き、香り、鮮やかさ。

 

そういったものが、

 

長い年月を経て、大人になった私の中から改めて生まれてこようとしている。

 

これは、なんなのだろう?どうして、私は今読む書物が生き生きとしていて、好きだったバレエはもっと大好きになり、見るもの聴くもの全てが新しいような、そんな感じがするのだろう?

 

わからない。

 

けれど思う。

 

きっと、これは次への道の一歩、だと。

 

そんな、今日でした。

ふうあーゆー⑨

ただ、ここに来て気が付いたことがある。

 

それは、俺は今まで父子家庭で育って、料理をがんばって料理人になることが夢だったのだが、

二人の会話、特にケイタの様子を見ていると

俺が思っていたがんばりは、独りよがりだったのかな、

ということ。

 

ケイタもケイタで厳しい家庭で育ったらしい。

 

勉強ができないことなんて許されない環境で、常に満点を取ってきて当たり前だった、

ということを聞いたときには驚愕した。そんな奴が、ほんとにいるんだな。。。

 

そうやって、日本を代表する超名門大学の商学部に入ったのか。

 

高校の同級生は一流国立大学に行っていたり、留学した人もいる。

 

俺には想像もつかないことだらけだったが、

ただ普段のケイタの生活を見ていると、

俺なんかよりずっと真面目ですごく勉強している。

 

ほんとに、捺美ちゃんと過ごす時間だけが息抜きに見えた。

 

俺は勉強が苦手でずっとそれから逃げてきたんだが、

もしかしたら、ちゃんと向き合わなかっただけなのかもしれない。

 

そう思った。

 

そう言えば、亡くなった母さんは数学が大得意だったらしい。

「すべては数学につながるのよ」

口癖のように、そう言っていたとか。

 

だとすると、

俺はその才能を受け継いでいるのかもしれないし、

これまで才能の無駄遣いをしてきたのかもしれないな。

 

レシピの配合や温度の違いがもたらす材料の変化を読み取ることは得意だったんだが、それ以上のことには使ってなかったんだもんな。

 

それに、料理もお菓子も、

作られた背景や名前にはいろんな歴史が読み取れる。

 

となると、

世界史だって無塩、いや無縁じゃないはずだ。

 

あれ、俺は今まで何をしていたんだ?

 

『ふうあーゆー』テーマ曲 ~時空の音色~

『去』 2019.0831

このところ、秋冬に向けての企画が進行している関係で、ひどく忙しい。

今日も、その準備に追われた一日だった。

 

こうなると、さして感じたことなどなさそうな気がするのだが、そんなことはなくて、

 

虫の音を聴くと、

あぁ、今年は猛暑と言われる日々が急激に訪れ過ぎ去っていったから、日中の暑さは残っていても、もう季節は秋なのだなぁ、

と思うし、

 

この晴れた週末に出かけておられる家族連れを見かけると、

今日の日の外遊びは、さぞかし気持ちがいいことだろうなぁ、いい時間だなぁ、

 

などと、思う。

 

大量のやるべきことに追われていると、いい時間をもっと大事にしたくなりますね。

 

そのためにも、

 

暗譜はより速くやろう。

 

写真は、2週間前の山の田んぼ。

そんな、今日でした。

『覚』 2019.0830

早いもので、もうじき8月も終わりを告げようとしている。

不思議だなぁ、時の流れというものは。

 

芭蕉の書いた「月日は百代の過客にして。。。」という文言の響き、こういうときにいずこからか、思い出す。

 

昨日、暗譜をすると、初見ができなくなる、と書いたばかりなのですが、

あのあと、寝る前にふと気が付いて、違うやり方を少し試してみた。

 

暗記と暗譜と、それぞれ違うやり方でやってきていたのですが、

もしかしたら、今までの暗譜のやり方に加えて学生時代のときのような暗記のやり方でも暗譜に向かったら、自分の中身が少し成長できるかもしれない、と思ったから。

久しぶりに試したそのやり方は、うん。懐かしいしこれも良さそうだ。

 

高校時代を思い出す。深夜に丸暗記して翌朝7時40分からの試験に挑んだこと。

 

もうちょっと慣れたら成果が上がるかもしれないので、そうなったら初見もまたできるようになるのかもしれません。

と、嬉しくなった。

 

そんな、今日でした。

写真は、先日のソロコンサート開演前。踊るのも、好きなんだよね。

『困』 2019.0829

最近、困っていることが一つある。

私は、元々暗譜型なのだが、最近その性質がより強くなってしまって、

初見がかなり苦しくなってしまってきているのだ。

 

子どもの頃から、暗譜が好きで得意だったから、暗譜で弾くことに向いているのだと思う。

加えて、最近の活動は、ほとんどソロで難曲を弾いているから、当然暗譜だし、無伴奏に至っては当たり前のように暗譜だ。

 

バッハのシャコンヌは、私が使っているヘンレー版で、9ページ。

先日のソロコンサートで弾いたメインのコンチェルトは8ページ。久しぶりに弾いたバッハのプレリュードは4ページ、フーガは5ページ。

 

あとまぁ、自作の曲は譜面はほぼ書いていない。今のところ、全部覚えきった状態でやっている。

 

とまぁ、こんなふうであるから、初見でパッと弾く能力がかなり落ちてしまっていて、以前のようには弾けないんだよなぁ。。。

かと言って、初見能力が必要とされるものもあるわけだし、

本当に、困ってしまっているのであります。

 

でも、答えは

私にしかない。そうなんだよね。

 

とりあえず、目の前のことに全力投球。

 

写真は、今日見つけた茸。なんか、大きななめ茸のようだった。

そんな、今日でした。

 

 

ふうあーゆー⑧

「でも、この首輪、外れないんだよ。」

 

そう、先日からケイタが首輪を外そうとしても、見た目は普通の首輪なのに、なぜか外れないんだ。

 

これは、どういうことだ?俺は、何に首を絞められている?

 

「そのへんも、相談したいと思っててさ。」

 

「そうねぇ、でももし飼い主さんがいたら、首輪に傷があってもいけないよね。」

「もちろんそうさ。ま、今そいつらも忙しいからそんな簡単に見てもらえないけどね。」

「やっぱり、大学って忙しいんだ。」

「うーん。。。人によるのかもしれないけど。俺らは就活がんばらないといけないから。」

「うん、、、私、ジャマだよね。。。」

「そんなこと言ってないだろ、俺は捺美の賢くて素直なところが好きだよ。大学だと、意外といないんだ。」

「ケイタくん。。。」

 

あ、この雰囲気。

 

俺は嫌になって窓辺に寄った。今日は土曜の午後。

捺美ちゃんがゆっくりいられる日だ。

 

「散歩してくるか?悪いな。」

 

外を歩きながら俺は考えていた。

俺はなぜ猫になったのか。この首輪の意味はなんなのか。あの鈴の音はなんなのか。

 

動物病院やSNSでは俺の情報は入ってこず(当たり前だが)、予防接種をされただけだった。

 

ここに来た日以来、あの鈴の音は寝ているときにはほとんど聞こえていた。たまに聞こえないときもある。

その違いもはっきりしない。

 

ただ、どちらにせよ安眠はできなかった。

他人の家で、こんな姿だということもあるだろうし、鈴の音が耳に焼き付くほど鳴り続けているからかもしれない。

 

捺美ちゃんの透明感のある声も、人間だった時より、よく聴こえているはずなんだけど、

それよりも鈴の音のほうが大きく鳴り響いているような気がする。

 

『備』 2019.0828

実は、水面下でいくつかの企画が進行している。

と言っても、そんなに大袈裟なものでもないのだが、

やはり、自分にとっては新しい挑戦だったりするから気が抜けない。

 

何を考えているかというと、

要するに、いつも皆様に楽しんで頂けそうなものをご用意したい、というそれだけでなのです。

 

毎日の練習も、正にその一つなんだけれども。

 

しかし、この秋は『パガニーニ・ミーティングス vol.3』にピアノとのデュオコンサート『美会夜会』。そのどちらも準備がとっても楽しい。それだけでも大忙し、という感じなのだが、加えて秘密の企画も進行中だから、身体も脳もいくつあったって足りやしない!いうことになってしまっている。

 

あー。ピアノとのヴァイオリンソナタを弾くのは今年は『美会夜会』で初だなぁ、元々アンサンブル好きだから、輪をかけて楽しみで仕方ない!その他の曲目も、ヴァイオリンが目立つというより、ピアノとのやり取りが面白い曲ばかり。

その準備たるや、幸せで仕方ないよ。。。

 

あと、できるかどうかわからないですが、個人的に頑張りたいことは、

執筆中の小説『雨女』への取り組みと、英語を文法から勉強し直すこと。

 

0と1は違う。その精神で生き延びようと思います。

写真は、姪っ子加工後の田中幾子。

 

そんな、今日でした。

 

『遊』 2019.0827

11月24日のピアノとのデュオコンサート『美会夜会』で演奏予定の、とある難曲がある。

ウィニアフスキという、ポーランドの人のそれはそれは格好いい曲なのだが、私は実はこの人の作風が好きで、技巧的な音列の奥にある歌心、ピアノとのやり取り、こういったことにとても胸が躍るのです。

 

実は、何年か前に本郷にある輸入楽譜専門店「アカデミアミュージック」という、クラシック音楽の世界の人なら誰でも知っている名店なのだが、そこでこの曲の楽譜というより、注釈書に近いようなものを見つけたのだ。

 

それは、セヴィシックという、ヴァイオリンにおけるハノンのような教則本を書いた人による、それの練習本。

セヴィシックの教則本は、子どもの頃からそれこそ大好きである。楽しいんだよね。まるで辞典を読んでいるようで。(私の過去エッセイSecret log『読む辞書、弾く辞書』というのがあります。セヴィシックと辞書のお話し。)

だから、見かけた途端に一目散にレジに向かい購入してしまった。それがいかほどの難曲であるかということも重々承知していながら、である。

 

で、昨日からその内容を練習している。わずか2小節のために数十種類の練習法が書いてある。あぁ、すごいな。セヴィシックは本当にすごい。

 

つまり、遊んでいるようなものですよ。感動もするし、上達もするし、最高のひと時ではないか。

『美会夜会』は、久しぶりのクラシック演奏会の形なので、曲目は近々全て発表致します。

 

写真は、山の里芋。こいつはこいつですごいなぁ。

そんな、今日でした。