Notes

『鬱』 2021.1004

このところ生きる速度が加速しているようで、一週間前の悩みはもう覚えていないし私の中にない。

この数日のことを整理すると、凄まじい肉体的疲労感を感じていたのだが、それは恐らく肉体にではなく脳にあるのではないかと気がつき、今まで以上に脳の休息を図るための方策をいろいろと打ち出して実践してはいたものの、なかなか回復が見られなかった。そんな中今朝の明け方にふと目が覚めてしまい、数日前にも同じようなことがあったから非常に狼狽しなんとかこの危機を打開したいとiPadで調べてふと思い当たったのが、これは恐らく鬱病なのだ、ということ。なるほど、確かにそれまでできていたことができなくなるという。私の場合、数時間は軽く練習していたのにヴァイオリンを1時間弾くだけで疲労困憊してしまいあとはひたすら寝ているか横になるか、どちらも似たような状況だがまぁつまり何もできやしないってことだ。このままいったら確実にこの状態は悪化する、それに自分が壊れていくのをこの目で実況しながら感じていくのは怖いことだ。なぜ生きながらに壊れないといけないのか、それではこの原因を改善せねば、そうでないとこの先はない。

原因なんて明らかで、要するにこの春親元に緊急避難したこの地がたいそう遠いのである。関東平野ですか?と尋ねるYu-co associates氏のその表現に愉しさを感じてしまってそれ以来人には「かろうじて関東平野ではあるのですが」と伝えている。往復5時間ですからね。そうでなくても元来見ず知らずの方々と密に接するなど非常に苦痛で電車には絶対乗りたくないから基本的に歩いて移動することが多く秋葉原から神保町とか渋谷から広尾とか虎ノ門から赤坂なんてへっちゃらで一度失敗したのは虎ノ門から田町である。でも田町から麻布十番には平気でいく。あの、三井俱楽部のそばを通っていくのが良いんだよね。一度あそこで弾いたことある。あの庭園は見事だ。こんなの全部楽器持ってうろうろするからね、電車に乗るくらいなら歩くかタクシー。特急とか新幹線の指定席なら乗っても良い。そのくらいの神経なのである。

 

で、その私が電車に乗る?

 

そりゃ具合も悪くなって当然であろう。

 

でさ、これは私、親の庇護の元にある状態でそんなこと言ってるんですよ。許されると思う??こんな不平を言うことが!だから流石に親にはまだ言っていない。「お母様、私はこの遠距離に堪えられず鬱病になってしまいそう、だから資金調達して一刻も早くここを出るから」えぇ、はい資金調達のためのいろいろは只今急速なスピードをもって進めております。ちなみに、親の呼称はこの記述通りです。そんな私は家族からは「えっちゃん」と呼ばれている。姪っ子○○えちゃんも田中家の女どもの一員として私のことをそう呼んでおります。我が家のルールからいけば本来彼女は私のことを「幾子お姉様」と呼ぶべきではあるのだが面倒くさいからそのままにしてある。それに、「えっちゃん」と呼ぶ人はこの世に3名しかいないわけだ。亡くなった父親は決してそのように愛称で呼ぶことはなかった。あの人は家の中でもワイシャツとジャケットだったからな。愛称などというものは彼にしたら無視すべき存在だったのだろう。

 

話しを元に戻すと、

 

このように身勝手で自分勝手、でありながらそれに従って生きなければ生きていけない己というものは正に真正人間のクズである。こう思い知ったので、自分はクズであるという自覚を持って生きることにしたし、それは今朝の睡眠障害以降私の肩の荷をずいぶん降ろしてくれた。午後になって少し前向きな気分になれたから家からすぐの岸辺周辺の公園で日に当たりながらぼんやりしているとくだんのYu-co associates氏から次のライブのためのlineがきて、そのやり取りはたいそう愉しく幸せを感じるものでそれは正に彼女が私のクズぶりをそのまま受け入れてくれているからであるのだろうし、そのあとは更に気分が良くなって少し散歩したり木の葉のぎりぎりをわざわざくぐったり膝丈スカートなのに手すりを足でまたいだりなどしてお行儀の悪さをいかんなく発揮し子どものような行いに自然と笑みを覚え、そういえば今朝以来笑っていなかったな、などと思ったりしたのだ。人にはいつも笑っていると評されているから朝から一度も笑っていない自分というのは非常に危険な状態だったんだな、と改めて感じた次第である。

この公園では昨日、私が11/11のユア・オーケストラ公演で弾くシューベルトは川の水面のきらきらやその中にいられると初めて生きた心地になる風、そして私がこの地上で最も愛する音とも言える風が奏でる木々の音、木の葉が返す太陽の光への返事、そういったものから構成されているのに何故に私はそこの中にはいられないのだろうか、バレリーナも練習は基本室内だ、精霊の役になったりするのに室内だ、これは芸術家の宿命だからしょうがない、だが我々こそ自然と技とを両立させないといけない存在なのだ、と感じたし、しばらく絵を描いたあと柿本人麻呂のようにかえりみすれば太陽が傾く時刻でそれにはチャイコフスキーの交響曲第6番第1楽章のあのメロディ、人生の終わりにたどり着いた湖畔の向こうに輝く壮大な夕暮れかのようなあのメロディを久々に思い出して、あぁあのような曲を書きたいな、と思ったり。はたまた志賀直哉の主人公のように長い保養地での生活の中で生気がみなぎってきたくだりを「確かに、そうだな」と思えたり、私の悪い性で早速仕事のことを考え始めたら急に段々と身体が重くなってきて、このへんも読んだことがあるから本当に「確かに、そうだな」と無理は禁物だと思い知ったりしたのだった。

 

そうして少し自分の在り方について気がついた今日は仕事もできたし練習も少しした。良かった。

 

ここにきて、改めて自分がクズであると確信している事柄があるので一つだけお伝えしてこの日記をおしまいとしよう。

 

それは、この部屋。私の仕事部屋にしている部屋の匂いだ。

 

前々から、なんか変な匂いがするなと思っていた。ここは中古物件であるから多少は致し方ないと。

 

だが、先ほどの公園での幸せだった愛情から帰ってくると、本当に耐えられないような厭な匂いであるのだ。

 

うん、出るしかない。

 

自分が正常を取り戻そうとすることで、そのようなことまで気になってしまって仕方がなく嫌な気分を我慢しながら音楽をより良くするための練習をしていたのだ。この一連の流れをクズだと言わず、なにをそう呼ぼう?

写真は、昨日絵を描いていたときのスケッチブックと虫。そんな、今日でした。

 

 

『遠』 2021.0923

文章を書きたいという欲があるのであれば、物語を構築することはするべきだな。

私は今日も寝込んでいた。以前住んでいた目黒区ではない青葉台の部屋が肉体の力を損なわさせると感じ急遽身を寄せた親元の家。ここは非常に遠い。都心だけでなくそのあたりに出るのだって所要時間を要する。元々地方出身で地方から地方(例:佐賀県から福岡県博多)へ毎週レッスンで通っていたからこそ可能であって耐えられる。なのだが、半端ではない疲労、そうかあのときは親の送迎ひたすら車だった。それに特急電車に高速バス。特急電車はもちろんあれ、小田急ロマンスカーみたいなやつですよ。

おかげさまで、家にいることでの肉体のマイナスは解消されているが、欲深い女の私はこの機会に体力増強と創作に励んでおり、それによって常に疲労に苛まれている。速く強くなりたい。

それで、長時間の移動による疲れというのは、私の場合熱が出たりなどであって、だいたい1日2日寝ていれば事足りる。

 

1日2日寝るだと!??そんな暇ない、親元にいる間に精一杯努力して肉身も表現も作り上げさっさと切り上げて出ていくべきではないのか。そうして、親に仕送りをするというのが本当ではないのか。己がいかにていたらくでいたということは関係ないのだ。これはこの世で生きる真理、じりつしかないでしょ自立、言い聞かせる自分の相手も自分。

 

じゃあー、どうするかって

 

省庁によるコロナ禍支援策の事業者向けうんたらかんたらやってちゃんとユア・オーケストラの準備を行い、私の次の構想である新曲リリースについて考え、そして愛するロックミュージシャンたちと次のライブのことを話し合うのだ……こういうの全部お布団の中からやるの、偉くない?偉い、偉いんだ。お布団。

 

速く、物語のお話を言いたい。言えますように。写真は、練習のお供、母お手製によるものです。そんな、今日でした。

 

 

 

『巡』 2021.0911

面白いのは、演奏や創作のサイクルを感じられることだ。

今のように作曲や人前でも僅かながら踊ることも披露するようになってから、ずっとそのサイクルを掴みたいと思っていた。

それが、ここのところいくらか自分の中に育ってきたように思える。

不思議なのは、そうすると文章欲も出てくるのであって、ずっと放ったらかしのままであった自分の小説『雨女』にも少し取り組めるようになってきた。今までと違い、なんとなくだが明確なイメージを持って接することができる。だから、書くことが怖くないし愉快で爽快な気分で机に向かえるのだ。

 

そんな中、先日ある連絡がきた。SNSでも呟いたShareYourガッツというコンペティションに応募したところの一次審査に合格したというものだ。これはコロナ禍でのエンタメにおけるエピソードを提出するものであったため、自分の文章が認められたのかな、という気になって非常に嬉しい。もちろん二次審査による結果あっての判断になるが、自分自身の歩みの一歩を感じられるのは幸運なことだ。そして、その文を書けたのは前回の日記に載せた、原宿のもみの木ハウスの山田さんに私の文章へのお褒めの言葉を頂けたことが大きい。だからここまで文に対して信じられる。そういえば、山田さんと話す前夜は私のソロライブ『原宿仮面舞踏族』であって、そこでもオリジナルの楽曲の評判が上々であったから色々と繋がっているのだろう。この日以降作曲も進み、2曲ほどはおよそ仕上がった。先ほどもまた新たなメロディとの新鮮な時間に恵まれ、これらの楽曲は全て小説『雨女』のイメージから来ているから、曲ができるごとに小説のイメージもより強くなってくる。なんとか楽曲と小説とをセットで発表したいものだな、上手くいくと良いんだが。

 

そうして、これらを支えているのがバレエのトレーニングでありストレッチである。機能的な肉体を目指して続けているこのトレーニング。昨日はやり過ぎておかげで本日はほとんど寝込んでしまった、がそれでもメロディとの出会いがあったから幸福だ。

 

写真は、作曲で使うヘッドフォン。そんな、今日でした。

 

 

 

『駄』 2021.0903

おかげさまで、先週8/27『原宿仮面舞踏族』も無事開催できたし色々な方々にお聴き頂くことができた。

音楽に身を置いているとつくづく感じることだが、

 

この世界は自分自身が鏡のように返ってくる。つまり、自分の生き様がそのまま返ってくるということだ。

そう思うと、半端なことはできないし常に自分が良いと思うことをやらないといけないのだが、なかなかそうならないのもまた然りであるし、そうしたときにどうするかというところで四方八方が鏡のような気がしてくるのだ。尋常じゃいられないような感覚だが、それがまた良いんですよ。だって、私が演奏している音楽というものはそこがもっとおかしくなるくらい純粋に保たれていて、だから時を超えて聴き続けられているのでしょう。バッハ、そしてヘンデル。ベートーヴェン。

 

なんでこんなことを書いているかって言うと、

つい先日デヴィッド・ボウイのことを教えて下さりマイルス・デイヴィスや大物アーティストの来日ツアーでケータリングを依頼される原宿の名レストランもみの木ハウスの店長山田さんが拙作『我儘なソリスタⅡ』に付している我が駄文を褒めて下さって、それが心底嬉しいからなのです。山田さん曰く「これは素人の文章じゃないよ、作家だ。」「小説は書かないんですか」ですって。

 

そうして私は音楽を作成したり弾いたりする行為によりコロナ禍でもコミュニケーションを取ろうと思うのです。

直にご一緒すると酷く変人で皆お困りになる。そんな怪獣のような人間だから。

 

音楽でだったら、多少耐えられるかなと。私自身、言葉で説明できずにいることが多い。聴いて、どうか聴いて分かって下さい。私はどうしようもなく私でしかいられないのです。それを望んだことも願ったこともないのですが、私でいること以外で私はいられないこのことは私にとってもこの上なく付き合い辛い事実そう、数々の選択肢が自分にはないのだと思い知ったし、何と言っても私という女は私自身にも非常に扱いづらいのです。そのくらい、私には何もない。何か、何かがあるとすればそれは何でもない。気力と根性。それだけです。

 

そんな駄目なヴァイオリニストですが、9/26に私主催でのブッキング出演があるのでぜひ。ツイキャス配信もあります。私の前後にはラヴェルのようなセンスで歌うシンガーソングライターと同じラヴェルでもボレロのような大きさのシンガーソングライター。真ん中の私にはラヴェルはきっといないだろう。それは皆様がご判断下さい。

 

 

@神田THE SHOJIMARU 東京都千代田区神田須田町1-4-6 吉川ビルB1 HP:http://shojimaru.main.jp/
・完全予約制 ご予約はfukumaru.rec@gmail.comまで、 公演日9/26、お名前、お電話番号、ご予約人数、I.T Violinと明記のうえ、お送りください。返信をもってご予約完了となります。 <SHOJIMARUからのお願い> ・店内ではマスクの着用をお願い致します。 ・入場時にアルコール消毒、検温のご協力をお願いします。 ・ご予約完了された方でも、体調のすぐれない方のご来店はお控えください。ツイキャスはこちら
 
 
 
 
 

『楽』 2021.0727

思うに私は、その音を現すのに自分の理想とする鳴り方でそこにぴったりくる身体イメージで弾くことができるようになる、そのことだけに費やしてきた今までの軌跡が恥も外聞もなくこのサイト上でも残っているのだが、

この春から始めたトレーニングと追求方法がとても良くて

やっとそのポイントを掴めるようになってきたようだ。

 

そうすると、今までのレパートリーももっと自分のイメージ通りに弾けるようになりそうだし、そこを得ることが楽になってきている。

 

うん、楽だ。

 

とは言え、この楽な状態にいることは決して楽ではない。むしろ苦しい。

何故なら、バレエのトレーニングや立ち方、ストレッチがまず恐ろしくハードだし、歌の練習も相変わらずしんどい。身体を造るというのはとても手間と時間と労力とあらゆる精神力とが必要で、そのバランスが少しでも崩れるとすぐさま寝込んでしまうような羽目になってしまう。身体を造るのに寝込むというのはおかしなことのようだが、己の肉体組織を超えたところを求めようとするとそうなるのだろう。求めると言っても、ほんの一歩先だ。それ以上はとても望みようがないから。(楽器の練習以外は専門家の指導のもと行っているのでご心配なく。)

 

それでも、今日はこうして駄文をしたためることができるから随分と余力が出てきたような気がする。ところで、駄文をしたためるとは不自然な表現ですね。しかし私のこれは正にしたためるという行為そのものであると感じているし、そもそもこの恥知らずな日記が駄文でなくてなんなのだろうか。私を知る人以外の人が読むなら、きっと冒頭で脱落するに違いない。「思うに私は」で始まる文章なんて、よほどの文豪のでなかったら誰が読むものか。ちなみに、音を現すというのは本当に音そのものが在るように弾きたいということである。

 

ま、間もなく今年下半期のコンサート予定を詳しくお知らせできると思うので、そのステージの用意に精一杯だということです。

 

写真は、広尾の神社。ここには芸術の神様が祀られている。

そんな、今日でした。

『体』 2021.0717

昨日はPaganini Meetings10でした。緊急事態宣言下の中、お越し下さいましたお客様方、主催のmoment、心より御礼申し上げます。

 

で、アイティは新たな感覚を身につけたな、と思う。パフォーマンスにより集中できる肉体。そして精神。

そういったものが得られるようになってきたと思う。

 

それは、歌の練習とバレエのトレーニングによるものが大きい。それと、音階もバッハもエチュードも丁寧に練習でき、ピアノも音階とアルペジオ全調練習できているようなことが私の精神を落ち着かせるのだと思う。とにかく、練習ができないのは駄目だ。すごく孤独に苛まれる感覚に陥る。本当ならば、全ての練習やトレーニングを今の3倍くらい毎日できるとより良いのだが、それには恐ろしく体力が足りない。何故ならば

バレエができる身体で楽器を弾き、歌う。それが自分の理想のステージを創り上げるだろうと思うので、ではその最初のステップであるバレエの身体に向き合い、その姿勢で音楽をやろうとすると今までと重心の位置や感覚、身体の中心線なども変わってくるため僅か1時間ほどの練習でも過酷と感じるほど疲弊してしまうのだ。当たり前だ。バレエも歴史的な大芸術であるからだ。

 

でもまぁ、おかげさまで昨日の超絶技巧の嵐も自分の理想に向かうための礎となるものにできたな、と思うし弾き終えた直後に聞こえた讃美の声は本当に嬉しかった。ありがとうございます。

 

本当は、毎日語りたいことはたくさんあるんだ。でも語る間に人生が終わってしまうから伝えられない。だから、全てはパフォーマンスに注ぎ込むよ。そこで私は会話したいんだ、私が命懸けで弾いた音とあなたが感じたこと、それを知りたい。それこそが幸せな友人同士のような間柄になれるような気がしている。

 

写真は、昨日飲み干したポカリスエット900ml。

そんな、今日でした。

『中』 2021.0617

  • ヴァイオリンを弾くこと
  • バレエを踊ること
  • ピアノを弾いて音楽の勉強をすること
  • 歌を歌うこと

 

今の私はこのようになっている。こうすると、すごく本当に芸術の中にいられるような気がしていて、初めて幸福感というものに包まれているように覚え始めている。

 

これらは何なのかといういうと、

私は作曲をしたいからピアノでの勉強というのは不可欠で、それはオーケストラのトップを務めることにもつながってくる。オケの曲もピアノで勉強するものだからだ。

それから、楽器の奏法を身に着けるためには身体の調整が不可欠で、そのために私にはバレエが必要で、肉体の重要性をより感じられ、これは演奏に直結するものである。

歌。歌というのはそもそもパフォーマンスの基本。ここで感じたものは音の出し方、リズムや呼吸に全てつながっている。

 

そうしていると、本当に尋常ではない。己の人生というものは常に非常事態であるのだな、ということをひどく実感している。恐ろしいほどの事態が起こりうるのだ、自分の心身において。とんでもないことだ。

 

まぁでも、やっていると曲の聴き方や感じ方がずいぶん変わるということが分かったし、新しい世界を垣間見ることができてそれはたいそう面白いものなのです。

いや、ほんとさ、スティングが格好良くて仕方なくて、最近のスティングの雰囲気はまるで大人の余裕。Tシャツとデニムの色香にまるで恋しちゃっているし、この恋は練習とかトレーニングに奮い立たせてくれる、心の薬みたいなものだ。若い頃のあの激しい眼つきから好きになったんだが、今となっては佇まいから何までやられている。元々はあの歌詞と音楽との組み合わせのセンスにやられていたんだけど。

 

で、この耳でベートーヴェンのスコア勉強するとまた違うものが見えてくるわけですよ、面白い。

さて、明日も音楽したいからそろそろ寝ようかな。

 

写真は、歌の練習課題に出ているシンディ・ローパー、シンディのPVってめちゃくちゃ面白いよね。あのセンスが大衆的で私は好きだ。

そんな、今日でした。

 

『立』 2021.0517

地球の皆様、こんばんは。

 

と、言いたくなってしまうような気分である。そのくらい近頃の私はどっか行ってる。ずっと前にライブでバッハのシャコンヌ弾いて「こういうの弾いているとどっか行っちゃってて」と話したことがあるが、最近はそれが日常である。

そんな私の最近は、これをお読みの面々はお分かりであろうが、

まずはユア・オーケストラたるオケのイベントの準備。これのために新曲も書き、絵も描いてデザインもしてその結果出来上がった代物を楽譜とノートブックとして売ろうという計画もあり、進行中である。あと、台本はもう書いた。あと、これもやった。あれもやった。あれもあれもあれも、と挙げたらキリがないし、それをやったぶん代わりにできなかったいくつもの事柄もあるから羅列するほどではない。できなかった事柄、例えば古本屋で買ったマーラーの本がまだ読めていないとか。

でまぁ、このイベントなりオケなりというのは、座って演奏するのですよ。

そりゃそうだ。アンサンブルの基本でもある。座ると目線の高さが同じくらいになるからね。背が大きいのも小さいのもみな座るのだ。それがオケだ。それを指揮するのが指揮者ってことなんだ。

 

で、このアイティって奴は、

いつも立って弾いてるんだよね。

 

なぜなら、立って弾いたほうがヴァイオリンは簡単だから。手が開いてヴィヴラートも自然にかかって重音押さえ放題、弓は小さいも大きいも使い放題。それがヴァイオリンってもんだ。ヴァイオリンはそもそも立って弾くもんだ、だからソリストはみな立ってる。アイティはそれが弾きやすいからそうしているのさ。だけど。

オケは座っていないといけない。お利口さんに。

 

というわけで、最近座って弾く練習もしているんだよね~、立っているときより余分に腹筋や体幹を使う気がする。お疲れ具合が半端ではない。そのくらいやらないと立っているときのように楽に弾くことができないからだ。楽に弾くためにより身体能力を必要とするとは矛盾しているかのようだが、それが成り立つのがこの芸術って世界の妙さ。訳が分からなくとも、良い音で楽しければ良いのさ。

 

写真は、私のお足元のお供。我が素足を添えて。

そんな、今日でした。

 

 

『実』 2021.0503

久しぶりになってしまった。

この日記のことである。

 

今日は、最近通い始めたボイトレの先生のレッスン。自分がイメージする声を出すためにしっかり立って上半身は何もせず、というつもりでいたらたいそう先生に褒められた。楽器と同じ要領なのだが、声の出し方としてもそれでいいらしい。ただ、これは非常に体力を要する。腹筋周りを恐ろしく使うからである。

そんなレッスンを終え、クタクタ帰宅してお弁当に持ち忘れたお手製サンドイッチ(玄関開けたら即母が「お帰りなさい、食べて」と答えた卵サンドとハムチーズサンド)を馬のように食い。

そうしたのちは、若干の事務作業。今日のお題は、1月のユアオケを指揮された方のご注文DVDのレーベルデザインと、5/22のユアオケイベント「クラ・うら・俱楽部」で演奏する力作、My Favorite Thingsをベートーヴェン風にしたアレンジ、タイトル即ち「私のお気に入りのベートーヴェン」の微修正を行った。レーベルデザインは私お得意の下手くそお絵描き、これがまた楽しい。あの~不合格を頂いたので明日また描き直しますが、自分でもなかなか格好いいふうになっていると自慢する。私が自分で自分を自慢するのはタダだからな。

それから楽器の練習を行い、ピアノにおいては鍵盤をおさえる動きにヴァイオリンの右手のボーイングのような流れを感じられ、よりスムーズに音楽的に弾けそうな気配、そしてヴァイオリンにおいては右手の動きが曲の始めから終わりにかけてストーリー性をもった動き、あたかも弾きたい中身であるかのような、これぞヴァイオリンとでも言うような感覚で、こののち身体が軽くなったのは、あぁやはり私は楽器奏者なのだな、と思う次第でありました。

 

それと体力の範囲内でバレエトレーニングを少し。やると気持ちいいから。これで寝ると思ったら、どうしても文章に入りたくて書いている。

 

なんか、音とバレエと絵と、文。

 

充実しているなぁ。

 

そんな、今日でした。

 

写真は、「実は和音を掴む練習になるから」と友人ピアニスト藤井麻理に言われて練習しているブルグミュラー。弾いたことないんだよ。音大受験前で慌てて始めたピアノはツェルニーとソナチネ、バッハからだったから。

 

『根』 2021.0307

極めてプライベートなことなのだが、私の家は佐賀ではない。

こういうと、「??なにを言っているんだろう、この人は」となりそうなのだが、

 

私は佐賀で生まれ育ちましたが、うちの両親の生まれ育ちは東京と北海道、2人は首都圏の大学を出て知り合った。結婚して最初は中野のアパートに住んでいたのだ。佐賀に行ったのは、父の赴任先となったから。そこで私は生まれた。

 

「出身はどこですか」

と尋ねられるたびに、この上述のことを説明しないといけない。

 

何故ならば、我が家の親類縁者はみな東京から北海道におり、西の方面には一切いないのだ。だって、赴任先だったから。

ちなみに、一番親戚が多い土地は両親共に青森だ。ついで北海道、新潟。そして首都圏。

 

もうちょっと辿ると、父の家は青森の出なので実はうちのお寺は青森県にある。母の家は新潟の出。母方の祖父は秋田の人だったらしい。母は北の最果て、稚内出身です。

 

なので、「お父さんは九州男児なんですね!」「九州だから顔立ちが濃いんだ~」「九州なら焼酎?」

といった九州関連の話題には総じて「あ、いや、えっと」と狼狽してタラタラ説明してしまう。焼酎も呑むしワインも日本酒もビールも大好物です。豚骨ラーメンは苦手です。

 

そんな感じだから、とうとうプロフィールから生まれ育ちについては消してしまった。ボストンにいた時期は短いのだが、私にとって音楽を育んでくれた土地だから載せている。

そういや、自分の根っこがどこにあるのか宿題に出されて国際電話かけまくって調べたな、何代も前まで書き記すファミリーツリー。移民だらけのアメリカの人たちは自分たちの祖先を大事にしているからびっくりしたんだった。そんな私の根っこはどこだろうな。音楽かな。

 

写真は、読書好きの私に知人がくれたチェコの栞。文学も私の根っこだから。

そんな、今日でした。