Notes

『三』 2019.0505

本日は、「青の時代 vol 2」でした。お越しいただいた皆様、ありがとうございました。

田中幾子は、たくさん弾き、歌い、そして、もう、いない。

もう、人でなくなっちまったよ。

 

なんだろう、この自分の境界線がなくなった感じ。。。

 

思えば、帰り道からそうだったな。電車の椅子に座ったとたんに形がなくなってしまったんだよな。

 

そのくらい、出し切った。

 

のでした。

 

しかし、おかげさまで第3回目も決まり(7月7日の14時開演でございます。今日より30分早いのでお間違えなく!)、それに6月9日は戦友とみーとのパガニーニデュオ。

だもので、明日からはその練習にとりかかります。

で、ダイエットも明日からなの。。。今日はご褒美に近所の評判のケーキ屋さんで2つも買っちゃった。

 

そんな、今日でした。

『二』 2019.0504

明日はソロコンサート「青の時代 vol 2」なのですが

明日の結果次第では、その次はないかもしれない。

 

そんなことも考えながらやっています。

 

幸い、そのあとも出演予定の演奏会はあるし、そのほかにも演奏予定のもの、練習しないといけないものは山積みなので音楽は続けていけるのですが、

やはり不安というものも常にあるのですよね。

 

練習で使い果たしてしまう性分だから、そのあと楽器のお手入れをしていると疲れてそういうことを考えてしまったりする。

私の楽器はイタリー製(弓はフレンチ)なんだけど、作られてからまだ30年ほどしか経っていない、いわゆる新作というやつで、お値段もこういう世界の中では「張らない」ものであります。

なんだけど、この楽器になって今度の夏で2年。

この楽器になってから、たくさんのこと、出会いと音楽があり、それはこれからもっと未来につながっていくと思っている。

これになったから、バッハのシャコンヌを弾き始めたんだよな。

 

それにしても、ずいぶんいい色になってきたなぁ。初めの頃はもっと黄色かった。楽器屋さんによると、この楽器のニスは「よく弾くといい色になる」らしいです。そこの社長さんに言われたものね、「よく弾いてますね」って。楽器見ればわかるんだって。嬉しい。

 

だから、この楽器のためにも明日はがんばろう。もっと美しくなってもらうために。

そんな、今日でした。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

『動』 2019.0503

練習に明け暮れている。

それしかない。それしかないのが我が人生だ。

 

終わり。

 

と、なりそうな気分です。

 

楽器を弾くのはとても疲れることで、体力も気力も使い果たす。

世間では、ヴァイオリンは軽々と弾いているものだと思われているふしもあるようだが、私はそうではなく

 

少しの音、少しの動きであっても

 

細心の注意を払って、全身でその音を表現するのだから、

体感的には大変な運動量となるわけであります。

 

日ごろの練習であってもそうなのだから、本番となると緊張も相まって一層激しい状態となる。

 

そんなわけで、最近飲んでいるのは画像のドリンク。

 

ポップスやロックの舞台では「ステージドリンク」というものが存在し、飲みながら演奏していいのだと聞いた。

なるほど。

確かに、大汗かいて激しいパフォーマンスをしたあとには必要だ。

なら、私も。

 

ということで、最近のライブハウスステージではこちらを飲みながら演奏しています。

 

バッハもね、他の曲もね、無伴奏じゃないときだってね、

弾いているときの私はアスリートだ。(当社比。)

 

そんな、今日でした。

5日は、みんな聴きに来てね。

 

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

 

『肩』 2019.0502

非常にニッチな話題で恐縮なのだが、

私はヴァイオリンを弾くときに、肩当てをしない。

 

ご存知でない諸氏のためにご説明申し上げますと、肩当てとは楽器の裏側に取り付けるものです。楽器を挟みやすく安定しやすくするためのものです。

いろんなタイプがあり、木製(滑り止めとして薄いゴムのような素材も貼られている)や、プラスチックのような製品もありますし、革でできているものもある。

ヴァイオリニスト、ヴィオリストにとっては、実は常にホットな話題でもあります。

 

だって、自分の骨格にあったものを探すのはなかなか大変よ。

 

私も子どもの頃はいわゆるKUNの肩当て(最もメジャーと言っても過言ではないと思う)をつけていて、そののちは肩当ての旅に出ていたのですが、いつの間にか肩当てなしの状態に落ち着きました。旅の間には、滑り止めの薄いゴム製品を代用したりもしていたな。私の師事した先生のうちお一人は、革布をご自分で切って作成されていました。自作も珍しくない。

 

なんだけど、

まぁ、本体(この場合、私のことだ)をご覧頂ければお分かりの通り、

私は首が短い。

腕も短い。肩幅もそんなにない。なんと言っても

手が小さい。

 

(個人的にこの手の小ささを「業界最小サイズ」と称しております。)

 

そうすると、演奏のための運動をする体積の中で肩当てが占める割合が、相対的に大きくなるのではないか?

 

そう、考え

 

なしで弾くことに至りました。

 

私の場合は、肩当てがないと左手の高い位置に移動することが楽になる。あと、案外低い位置というのは手の幅が広くなるため(ギターと同じですね)これもないほうが指を開きやすい。

安定性については、逆にいうとあまり安定させず弾く、ということになりました。これも慣れだと思うのだけど、いつも体重移動しながら弾いているからそれで合っているのかもしれない。

 

こんなふうにして、弾き方って一人ひとり全く違ってくるから面白いよなぁ。

と、結論づけてもう寝ます。

 

今日の写真は、いつもの例の山。こんな風景もあるんだ。面白いよね。

そんな、今日でした。

本体をご覧になれます。ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

 

『初』 2019.0501

田中幾子のお時間でございます。

始まりました。今夜のバランスボール日記。

 

今日もやっていたことと言えば、練習である。ヴァイオリンを弾き、ピアノを弾き、歌を歌う。「雨女」を歌うこととピアノの間奏を弾くことと両立させることがなかなか難しい。

私はあまり声が出るほうではないので、歌声を聴かせるというより、歌詞を聴いてもらうつもりで今は練習をしている。

そうすると、普段の話し方に近い声の出し方になってくるのですが、

 

簡単なようで、楽器を鳴らしながら同時にそれを行うのがまだなかなか慣れない。

 

なんですが、ピアノで弾ききれないメロディを演奏しようと思うと、歌うしかないから、歌っています。

で、この「雨女」プロジェクトは牛歩の歩みながら進んできていまして、それも楽しみだ。

正に、自分にとっては初の試みとなるし、令和元年は私にとっては「雨女」の年と言えるようになるのではないかな、とちょっと自分に期待もしている。

ただ、物凄い大冒険なんだよなぁ。。。うまくいくかな。。

 

実は大きな不安も抱えつつ、冒険の世界へと飛び込むに違いない。だって小学校2年生のときのあの輝かしい夏休み。あのときから私は心の大冒険が好きで仕方ないのだから。

今日の写真は、練習中に掃除を代行してもらっていらルンバが、いつの間にかポツンと停止していた様子。切ないけれど、いつもありがとう。

 

そんな、今日でした。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

『去』 2019.0430

今日はまた練習に練習に練習。夜は、知り合いのお嬢さんのコンサートに出かけていました。

今日の練習は、それはそれは新鮮な発見があったなぁ。

 

それは、バッハが楽しくなってきた。

 

これって、私にとっては「音階楽しい!」とか「セヴィシック大好き!」のような鮮やかな感情で、こんなことってあるんだ、とまで思う。

だって、ピアノで言えば旧約聖書ですよ?(新約聖書のベートーヴェンが楽しくないとは言っていない。むしろガンガン盛り上がれる。)やはりずっと教科書のような存在だと思っていたのかな。自分より遥かに遠く高く、楽しむような対象ではない、というような。

 

なんですが、

やり続けてみるものだなぁ、と思いました。平成最後の日に、気が付けて良かった。大きな味方がついたような気がする。新時代はこれでがんばっていこう。

写真は、帰り道に。

過ぎ去るトラック。

 

そんな、今日でした。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

『呑』 2019.0429

昨日と今日は、TwitterとFacebookで5月5日「青の時代」についてご説明申し上げた。

なぜならば、

「全部ひとりで弾いてますソロコンサートです!」

と言っても

「ピアニストは?共演者はいないのですか?」

と、尋ねられるから。そりゃそうだよね、ヴァイオリニストのソロコンサートは、オールバッハやイザイ、バルトーク、といった【作曲者が無伴奏ヴァイオリンのために書いた曲のみの演奏会】でないと、クラシックヴァイオリ二ストとしては道理が合わない。(申し訳ありません。)

 

今回の投稿で、いくらかご理解頂けているといいのですが。Twitterは140字だからなぁ。Facebookのように長い文章は読みにくいと思い、かいつまんだ文章としました。

 

(※唐突に、本日の写真についてご説明致しますと、我が家の観葉植物パキラでございます。近頃、滅法背丈が伸びてきてございます。)

 

 

で、そこまでやった今日の私。

 

練習もしたぜ。とうの昔に。

 

もう、ぐだぐだだぜ。

 

なのに、さっきからそれらのインターネット上のこと(個人的にそう称している)を行うにあたって、なんと

バランスボールに座っているの。。。!!

 

運動になりますね。

なんかさ、すごくのんびりした気分になれる。

 

こう、まだちょっと疲れていいんだ、みたいな。呑気な感じ。

そんな、今日でした。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

『踏』 2019.0427

職業音楽家などとヤクザな生き方をしていると、およそスケジュールは常に流動的でかつぎりぎりであって、つまり、

普通の時間にご飯が食べられない。

ことになりがちです。

 

例えば、午前中のリハ→移動→午後は別件のリハ→夜は自分の練習。というようなスケジュールは珍しくもなんともないけど、この場合はお昼ご飯時間がほぼ犠牲となる。

あと、犠牲になっているのは夕食。一応食べることが多いのだけど、ちゃんとは食べられない。

 

なんですが、たまにね、恋しいのよ。

おうちで、普通の時間に食べる夕ご飯。

 

なので、今日はたまの普通の夕ご飯をしました。なんか、ゆったりできるからいいよね。こういうときは、ゆったりを味わいたいからご飯のあとの練習もなし。

 

ですが、別の努力(?)は積み重ねているわけで、

それは靴。

 

いつも本番のときは少しだけ踵が高い靴を履くんだけど、私はヒールが苦手。どうしても慣れない。

なので、今日からは、その靴の底をきれいに拭きあげて家の中でもそれを履いて過ごすことにした。今までも、靴を履いて練習することはよくしていたんだけれども。

こうしていると、床を踏む感触がぺたんこ靴のように慣れそうです。早く、慣れるといいな。

そんな、今日でした。

5月5日は今までよりもっと面白くなるから、ぜひ来てくださいね。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

『疲』 2019.0426

今日は練習の予定をきちんと立てていた。

昼間の用事が済んで、18時から22時までさらう、と。

 

その前の用事から帰宅中に、「今日は絶対12時には寝よう。」と、決めていた。

 

と、いうのは

まぁ自律神経の働きなんかが良くないタイプの虚弱なので、お医者様に疲れないようにしなさい、と最近言われているからです。

とは言え、これが意外と難しい。

そもそも、短時間でバン!と集中してやるほうなので、4時間くらいの練習のときも集中の加減はあれど、4時間は集中しているわけです。で、そうすると、4時間後には大変疲労している。いつもの使い物にならない状態出来上がりというわけです。

で、最近の私は練習の他にも創作的なことに取り組み、身体のために散歩やジム(専らサウナ)にも行っているから、わりと、疲れる。

 

今までは、それらの活動の他に練習は疲れ果てたその先までやっていたのですが、疲れないようにするために、今日は絶対に4時間(小休憩や間のストレッチ含む)でやめる、と決めていたのです。

 

なのですが、

 

4時間経つ前に、眠くなってきた。

 

眠いと、もう弾けない。

だから、日記やって、もう寝るの。

 

練習は、変ロ短調の音階(音階、アルペジオ各種、反復進行、半音階、3度、6度、オクターブ、フィンガードオクターブ、10度、ハーモニクス。ここまでやって音階をやった、という感じ)、基礎エチュード。曲を少し。ピアノのハノンからいくつかの調の音階やアルペジオ、バッハのインベンション3番、ショパンの大作を少しかじる。

音階はいいね。清く正しい生活を送っているような気分になれる。

 

そんなふうにして、がんばってるから5月5日『青の時代 vol 2』にはぜひたくさんの方に聴いてもらいたいな。新しい作品にも挑戦します。

写真は、こないだの吉祥寺ブラックアンドブルー、サウンドチェック後。ビールは私のではない。ライブハウス、あまりまだよくわかっていないけど、こういう雰囲気なのかな?

 

そんな、今日でした。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

 

『難』 2019.0425

今日は山に行ったり、練習したりしていました。それぞれ、いろんなことを感じた。

ずっとずっと遥か前から自分で感じていたことで、昨今は周囲にも理解されるようになったことがあるのですが、

 

自分で思う以上に、

私は芸術家気質で扱いが難しい。

 

ほんとに、自分でも難しいのです。

 

今日もさ、さっきまで Keynoters に連載している記事を書いていたんだけど、そこに載せる音源を少し聴くだけで、気持ちが溢れて仕方ない。

それを無視して次の文章へと進む。

その作曲家の彼の人生や作品を想うだけで、全てがいっぱいになってしまう。

 

その、繰り返し。

 

皆さまは、ご存知だろうか。それを知ったら眠れなくなる旋律のこと。読み物のこと。映画のこと。バレエのこと。

 

珍しい作品のこととは限らず

きっと巷に溢れているものだったり。

 

でも、囚われてしまうのです。

夜は更けるが眠れなくもなり、日中もなにも見えなくなってしまうのです。

 

私は、こんなに目が大きいのに

歩いているときだって、ろくに見えていやしない。あのいろんなものでいっぱいで、頭も忙しいんだ。

まるで、でくのぼうのような目だ。なんの役にも立ちはしない。だから転ぶんだ。

 

なんだか、中原中也のような気分もしていますが、こう公言するのは初めてだな。

 

今日は、少し練習できた。長い時間だったけれど、少し、という感じだ。

そんな、今日でした。写真は、笑顔のラママ。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2