デュオ

『慣』 2019.0805

不思議なもので、何度も行っていると慣れるという事象が生じる。

恐らく、脳の働きのメカニズムによるものなのだろうと思うのだが、それでもやはり不思議なものである。

 

というわけで、

 

とみーと私はあの恐ろしいパガニーニのデュオに慣れてきた。

 

前回からおよそ2ヶ月経つし、その間我々は互いに連絡も取り合わない。リハーサルの日程と内容の相談を数回メッセージしただけだ。

 

それでも、人は慣れるものなのだなぁ。

まぁ、本番というものの力はそこにあるかもしれない。特に私はかなり緊張がひどいほうだから、尋常ではない状態で披露したものは魂の記憶も強いのかもしれない。ちなみに、私は互いの緊張感を共有し合える人との共演が心地よい。なんか、戦友って感じがするんだよね。

 

写真は、これも若干慣れてきた自撮り。

ぼっちヴァイオリンにも慣れてきた。ソロコンサート。ヴァイオリン超絶技巧無伴奏、オリジナル曲、即興演奏など。次回は8月25日エムズカンティーナにて。『青の時代 vol.4』

オールパガニーニプログラムシリーズ『パガニーニ・ミーティングス vol.2』

『休』 2019.0801

案外知られていない事実だが、音楽家には耳の休息が必要である。

これは、ほかの分野の方々はどうなのだろう。画家は眼を休めたり、小説家は書物から離れたりするのだろうか。私はよく知らない。

 

プロの音楽家はきっとみなそうなのだと思うのだけれども、音楽を耳にした瞬間に無意識のうちにかなりのことを考えてしまうから、聴覚というより脳が働くんだよね。弾き方、アンサンブル、バランス、テクニックと芸術性、録音物なら録音の仕方、どういう人に向けた音源作成なのか等々。ちょっとしたBGMだってそうなってしまう。

 

で、最近気がついたのは、

山歩きは最高に耳の休息となる、ということ。

 

まず、街中の音が聴こえてこない。アスファルトをこするタイヤの音、電車の音、店屋から流れ出る音楽や宣伝文句、これらがこの首都圏ではアスファルトと更に建築物により互いに反響しあって大音量となっているものが、入ってこない。

 

聴こえるのは、鳥の鳴き声、虫の羽音。蝉の大音量だって山の中ではたいして反響しない。土は音を吸収するのだ。全ては柔らかい音となる。

これは都会に生きる音楽家には必要なことなのではないかな、とも思うようになってきた。

 

というわけで、本日も大変幸せな田中幾子なのです。こういう時間があるから、パガニーニも創作もがんばれる。今夜は、お遊びで書いた小さい小説が思いのほか面白い出来となったから、公開できるように準備しよ。

 

写真は、淹れたいからわざわざこういうのを探して買う、麦茶。

そんな、今日でした。

こちらは田中幾子の音でいっぱいである。ソロコンサート。ヴァイオリン超絶技巧無伴奏、オリジナル曲、即興演奏など。次回は8月25日エムズカンティーナにて。『青の時代 vol.4』

オールパガニーニプログラムシリーズ『パガニーニ・ミーティングス vol.2』

『三』 2019.0505

本日は、「青の時代 vol 2」でした。お越しいただいた皆様、ありがとうございました。

田中幾子は、たくさん弾き、歌い、そして、もう、いない。

もう、人でなくなっちまったよ。

 

なんだろう、この自分の境界線がなくなった感じ。。。

 

思えば、帰り道からそうだったな。電車の椅子に座ったとたんに形がなくなってしまったんだよな。

 

そのくらい、出し切った。

 

のでした。

 

しかし、おかげさまで第3回目も決まり(7月7日の14時開演でございます。今日より30分早いのでお間違えなく!)、それに6月9日は戦友とみーとのパガニーニデュオ。

だもので、明日からはその練習にとりかかります。

で、ダイエットも明日からなの。。。今日はご褒美に近所の評判のケーキ屋さんで2つも買っちゃった。

 

そんな、今日でした。