ラヴェル

『語』 2019.0710

私がこの日記であまり音楽の内面の部分を語らないのには理由がありまして、

それは、言葉で一つ一つ表していると一生かかっても語り尽くせないから、というふうに思っているからなのです。

だからまぁ、私が感じていること、思っていることはできうる限り自分の演奏や音楽、表現でお伝えしたいな、と思う。

 

そうしないと、私の中にグリーグの不思議な山の精霊たちやシベリウスの凍てつく土地、チャイコフスキーの土埃が舞う大地やモーツァルトの彼一流の冗談、ラヴェルのクールに見せながら実は熱い熱い芯の部分などが無数に飛び交っているのを表せないままになってしまう。全てに一瞬一瞬思うことがあるから、とても言い切れないよ。

 

で、もっと表現に集中したいのだけど、創作というものも、やればやるほど自分のダメなところが露になってくる。

 

弾けないとダメな自分になっちゃうし、創作してもダメな私がいる。

 

こうやって自分の小ささを感じる。それだけ音楽っては大きいってことだね。

ま、目の前のことから精一杯やるぜ。

 

そんな、今日でした。写真は、こないだ見つけた街角。こういう街並みの愉しさは東京ならではですよね。

ソロコンサートシリーズ「青の時代」ヴァイオリン超絶技巧無伴奏、オリジナル曲、即興演奏など。8月25日エムズカンティーナにて。『青の時代 vol.4』

オールパガニーニプログラムシリーズ『パガニーニ・ミーティングス vol.2』

『譜』 2019.0515

恐らく私は書物と同じように、楽譜を見ることも好きなのだと思う。

だからこの日記にも写真を載せたくなるのかな。

 

例えば、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の1楽章、ソロのパート譜でいえば2ページめにあたるところにあるようなアルペジオは見ているだけで感動してくる。なんて美しいものを書き残したのだろう、と譜面そのものに立ち昇る美しさを見ているわけだ。

そこで言えば、バッハの無伴奏の譜面はまるで漢文のように見える。それも、白文。これを書き下し文にすることがバッハの演奏だと思っていて、その作業が終わるまではそもそも練習にも取り掛かることができないような作品群である。

 

で、見ていて圧倒されるのは例えば、ピアニストな作曲家の作品。シューマンやブラームスのピアノのアルペジオには、ヴァイオリンには出せないある種の色気を感じるのだ。(※ドビュッシーやラヴェル、フォーレなど、いわゆるフランスもののピアノは残念なことに私には譜面からは容易に音楽の想像がつかない。)

 

ピアノは、とても好きな楽器だが、

ピアノがもつ透明な音色であの音列をやるから、

 

ものすごく色っぽく感じるのかな。。

 

そんなの、私だけかな。

 

答えが出ない、でもずっと探している。ちっちゃいときからずっと。

 

 

写真は、こないだとみーのところに行った途中の渋谷マークシティ。久しぶりだなぁと思ったらLa.mama に行くのと同じルートだったからで、La.mama には3月以来出演していないからだった。

そういえば、今年は La.mama から始まったもんな、と自分の記憶の理由を思い出す。

 

そんな、今日でした。

ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

『苺』 2019.0409

こんばんは。田中幾子日記のお時間です。

連日のように特訓していると、さすがに心身が慣れてくるようで、先週までのようには疲れなくなってきた。加減というものも、覚えてきたからだと思うのですが、まぁいい傾向である。

であるのですが、

やはり特訓の日は疲れる。

 

なので、今日も、いつものように、もう、眠い。(声を大にして言いたいくらい大事なことだから、釘をさすように点を打った。)

 

で、関係ないのですが

私は今日はショパンのバラード3番の冒頭を少し練習していた。えーと、先週「図書」を入手したときの戦利品の一部だ。

ショパンの音楽は本当にリズミカルで、大好きな「舟歌」もそう感じる。すごくゴツゴツした熱い漢っぽい骨太な音楽。前奏曲の1番もすごく好きだ。好きな演奏はたくさんあって選べないけど、フランスのサンソン・フランソワや、シプリアン・カツァリスが好みかなぁ、カツァリスはバッハもブラームスもグリーグも好き。ベートーヴェン交響曲リスト版は感動したなぁ。

 

とか言い出すと終わらない。すみません。大変申し訳ない。

 

大体ね、正直なところヴァイオリン曲というのは、どの作曲家においてもメイン分野とは言い難いのですよ。バッハもベートーヴェンもモーツァルトもフランスのラヴェルも。

だから、作曲家のことを知りたかったら、彼らのメイン分野を知るべきで、それはモーツァルトなら、オペラやピアノ曲、交響曲。。となってくると思うの。

ちなみに、ヴァイオリン曲をメインに書いた作曲家で傑出しているのはフリッツ・クライスラーだと思うな。あの作品群の完成度の高さを前にしたら、どうもこうも身動きが取れない。(でも、作曲家としての知名度は低いのね。愛の2曲と可愛いロスマリンは誰でも聴いたことあるのに!)

 

ヴァイオリンのこと知りたかったら、いろんなもの聴いたほうがいいと思って聴いているうちに、ショパンも大好きになったんだけど、

あれはヴァイオリンで弾くもんじゃない。ピアノでないと。

 

と、思います。

 

でね、今日はおやつに苺を食べました。お砂糖かけて豆乳かけて潰すの。美味しかった。

 

そんな、今日でした。

ショパンは弾かないけど、ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

 

『眠』 20190404

眠いです。

今朝起きたのは午前9時。そして、私が眠さを自分自身に訴え始めたのは午後7時半すぎ。

どういうことだ。

 

そもそもが虚弱体質で、睡眠時間は8時間必須な人間です。それを下回ると、胃痛やら頭痛やらが訪れる。私は私の虚弱を語ると、とめどなくなってしまう。夜が更けるどころか明日の日が暮れる。

 

で、今日もやった特訓。

 

個人的にたいそうハードな内容なのですが、まぁ確かにこれを続ければ、肉体も演奏も精神も鍛えられるわ、と強く実感できているので、相変わらず続けています。

で、今日はちょっと特訓がんばったの。お昼寝もしなかった。

それで、もう眠いの。

 

だから、こないだの戦利品がまだ楽しめてないんだよなぁ。早く遊びたい。

古い匂いからして、最高だよ。

 

あと、私ラヴェルのピアノ曲の譜面がほしい。持ってないの。ソナチネとか、いいよなぁ。

 

ふと、今日の特訓を思い返してみれば、バッハのソナタ1番のアダージオが、これまでよりとてもきれいに楽に弾けたんだった。うん、そうだった。

明日もがんばろっと。

 

そんな、今日でした。

 

『黒』 2019.0329

そういえば、私の初ソロコンサート(厳密には初めてではないのですが、ピアノと歌もお披露目したのは初めて)はまだ数週間前のことだったんだな、と月日の流れにびっくりしている。

その翌週に、阿佐ヶ谷ヴィオロンでバッハの無伴奏パルティータ第3番全曲弾いたからかな。合間に曲を書き、動画を撮り、今週は秘密の特訓といい、びっくり箱のような人生である。もう、あれから1か月以上は経っているような感覚だよ。

そうして、明後日は今年からお世話になっている渋谷 La.mama でオープニングアクト出演です。

そのあとは、4月14日に渋谷松濤ムジカチェレステでクラシックの室内楽、24日に原宿カーサ・モーツァルトで日本の和を歌でお届けする「和美 ~wabi~」にも出演が決まっておりまして、

大層、ありがたいことです。

 

それぞれ、内容も雰囲気も違うのですが、

頭の片隅に、それらの曲や内容、背景をイメージしながら、練習は目の前のものをメインにやる。

今のところ、私はそんなふうにして挑んでいる。

 

ムジカチェレステで演奏するベートーヴェンも、やはりベートーヴェンらしい大きさがあるし、その響きを想像すると、リハーサルでの音出しが楽しみで仕方ないんだよなぁ。やはり、私はクラシックのアンサンブルが大好きなんだ。

ベートーヴェンといえば、実は最近ひっそりと彼のピアノソナタを部分的に練習している。単純に、弾いていれば音楽が身体の中に入るから。これは決して人前にはお見せできない部類の研究のようなものなのですが、こんなふうにして、ブラームス、ラヴェルも少しだけでいいから、ピアノを通して身体に欲しい。

ヴァイオリン的目線とは全く違う、じわじわ入ってくる感じがまた、この世にこれ以上面白いことがあるかよ、という気分になってくるのです。

 

とまぁ、本日も特訓後にはまるで朽ち果てる女であり現在も疲労進行形であるゆえ、もう、とっとと寝てしまえ、という気分の今現在でございます。

写真は、練習に必要な三種の神器の一つとでも呼びたい、バランスボールでありますが、いくぶん写真が生々しかったゆえに、モノクロへと加工を施してみました。正に、欺瞞に満ちている。

 

そんな、今日でした。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2