文章

『旅』 2019.1130

寒い季節には、ガウンが着たくなる。

特に、ちょっと疲れているときや自分を可愛がりたいようなときは。

 

今日は、日帰りで大阪へクローズドの演奏に出かけてきた。

思えば、地方に出かけることは滅多にない。旅行というものをあまりしないことと、先年佐賀の実家を売却し母も東京にいるから、いわゆる帰省もしなくなっている。

 

旅行をしない理由は、

中学のときに1年間もの間、佐賀を離れてボストンに行った体験があまりに大きかったからだ。私にとって極東日本の田舎町とニューイングランドの誇り高き文化の街とは、同じ地球上とはいえ、感じるものがかけ離れていた。もう一つは、毎日叶えたい夢の中に旅しているから、狭い6畳の音楽室でも脳内はあちこちに行っているから。

 

なんだが、物理的に出かけて歩くことが楽しい性分であるから、今日の日帰りもたいそう面白い出来事となった。大阪で出会った全てに感謝申し上げます。

 

で、今帰宅して何はともかく服を脱ぎ散らかしてガウンを羽織った次第である。

 

来年は、この駄文をもっと昇格させられる文章力をつけたい。

体力をもっとつけて、小説と作曲においてきちんとしたものを創れるようになりたい。

自分の楽しみのために、バレエを踊り、ヴァイオリンとピアノをもっと練習して上手くなりたい。

歌も興味が出てきたから、声のトレーニングもしてみたい。

 

あぁ、何ができるかな。今から楽しみだ!

 

今月は寒暖差で4割方臥せってしまい、唯一の連載記事も更新できなかったから、来月から(明日からじゃん)10倍返しで行くぜ!!

 

そんな、今日でした。今夜はガウンを愉しむから、全ては明日からということで。

『津』 2019.0907

田中幾子のお時間でございます。

 

今日の午後は、作家の津原泰水先生が開講なさっておられる文章講座へとお邪魔してきた。

読売新聞のカルチャースクールなのですが、見学ということもできる。先生ご自身がTwitterでそう呟いておいでだったのです。

 

最近、「音楽と小説で世界観を表したい」と思いながらも、そこは自己流じゃいかんだろ、やはりプロの世界を覗き見なければ!と思っていた矢先に見かけたので、「お、こりゃラッキー♪」とばかりに恵比寿までのこのこと出向いて行ったのだ。

 

実際の先生は、話しぶりも口から出る表現も、

これはTwitterの何十倍も面白い!

 

また、言葉選びのセンスが素敵。

勝手ながら「小説におけるエンターテイメントを実現されていると、こうなるんだ。」

と、思った。

 

いや、格好いいんですよ。

話のまとめ方、伝えないといけないこと、そこに垣間見える輝き。

 

あぁ、これがプロってもんだなぁ。。。

 

短い時間でしたけれども、大変興味深い内容を無料でお聴きしてしまい、挙句の果てには先生や受講生の皆さまとお話しすることもでき、その上小説の世界の面々というのも、音楽とは全く違う雰囲気で恐ろしく楽しい愉快な人物勢ぞろいで、

なんというか、

これぞ、堪能しました。。。という気分なのであります。

 

あ~、がんばろ。いろいろやってこ。やるよ。田中幾子はとことん行ききるぜ!!

 

写真は、お土産に頂いたお菓子。ロシアのよね?

そんな、今日でした。

11月24日「かっこいい曲しかやらない」ヴァイオリン・ピアノデュオ『美会夜会』 原宿カーサ・モーツァルトにて。

 

オールパガニーニシリーズ 10月22日『パガニーニ・ミーティングス vol.3』

『前』 2019.0717

最近、人に会うと「日記読んでますよ。」と言われることがある。

あと、連載記事も。なかなか恥ずかしい。

何しろ書いているときの私は、人と接しているときの私とは全く違うんだものな。まぁ、皆さま私がそれなりの変人であることをご承知なのだろうから、今更気にすることもないのだが。

人に読まれる文章を書きたい、と思ったのはここ2年ほどです。それまではそんなこと思ってみたこともなかった。

 

作曲に関してはもっとそうだ。

時々打ち明けていることですが、作曲を薦められたのがちょうど1年くらい前。私はその前の年から始めた演奏活動に少し疲れていた頃でもあった。だから、去年の7月は一つも本番を入れていなかった。それを少しずつ始めてみて、初めて自作を発表したのが去年の11月。そこからだんだんと創る楽しみも感じるようになって今に至るのだから、不思議だ。

ちなみに、完全無伴奏のソロコンサートを初めて開いたのが去年の8月。あのときは、即興といい、無伴奏といいかなり大変だったけれど、今となっては多少の熱でもできてしまうくらいになった。

 

ま、人生に一番大事なのは開き直りってやつだな。

 

と思いながら、今日はまた風邪で発熱しちゃって、グダグダしながら数か月ぶりにイザイやバッハのシャコンヌを練習していた。今度の金曜に面白いことがあるからね!その準備。

 

そんな、今日でした。写真は街中での緑。

1年前より成長している。ヴァイオリン超絶技巧無伴奏、オリジナル曲、即興演奏など。『青の時代 vol.4』

オールパガニーニプログラムシリーズ『パガニーニ・ミーティングス vol.2』

子どもの謎と今の謎

少し前の日記で、志賀直哉の文章のことを書いた。

実のところ、最近の私における目下の課題は創作行為であって、それは小説「雨女」と付随音楽。つまり、作文と作曲の両方なのだ。

 

練習で疲れてしまいがちで、なかなか創作が進みにくいのであるが、これでも日々の課題として少しずつ筆を進めてはいる。主に移動中に書いているのだ。

 

自分で小説なるものを書いてみようと思ってから、昔読んだ作品たちをいくつか引っ張り出して開いたりしていると、当然のことだが以前とは読後感が全く違う。感じる違いは2点あって、

一つは、経年により自分自身が変わっている。

もう一つは、自分自身も作文を始めたから文章の捉え方、読み方自体が変わっている。

こんなところである。

 

そのような変化があったから、小説の神様と呼ばれる志賀直哉の作品を今読むとたいへん興味深く、非常に面白く感じていて、それは以前の私にはなかった感覚だから驚いている。

 

それで、自分における音楽の在り方を考察してみると、実は私は音楽においては、最初の印象というものがまるで変らない。カトリック幼稚園に通っていたときのクリスマス会で歌ったある讃美歌が今も同じように好きで、あのときの高揚感を今でも感じるし、讃美歌の中ではそれが一番好きだ。

あの頃は、なぜ自分がこのように高揚感を感じるのかが不思議だった。

音楽大学に進み、他の様々な作品を聴いたりスコアを開いたり分析して勉強するようになって、昔の自分の疑問の答えが見つかるようになった。結局のところ、私がやっている音楽活動は、子どもの自分に応えるようなものだと思う。

 

では、文章はどうなのか。

 

自分の感じ方としては、音楽より書物に触れている時間のほうが総計すると長く感じるし、たくさんの書物からなにかをもらってきて今に至るはずなのだが、文章においては分析しながら読んだことがなかったのかもしれない。そして、それは音楽においては、実は子どものころから拙い知識ながらも自然と繰り広げていたことなので、これから行えばいいのだが。

文章もこよなく愛する自分としては、音楽と文章とで接し方が違っていたこれまでの人生に驚いたのです。

 

このようにして、自分の在り方について考えることから創作は始まると思っている節があるので、そういった意味では私の作文はこれからである。楽しみだ。

※ポップスの共演は、創作に近い。

『難』 2019.0425

今日は山に行ったり、練習したりしていました。それぞれ、いろんなことを感じた。

ずっとずっと遥か前から自分で感じていたことで、昨今は周囲にも理解されるようになったことがあるのですが、

 

自分で思う以上に、

私は芸術家気質で扱いが難しい。

 

ほんとに、自分でも難しいのです。

 

今日もさ、さっきまで Keynoters に連載している記事を書いていたんだけど、そこに載せる音源を少し聴くだけで、気持ちが溢れて仕方ない。

それを無視して次の文章へと進む。

その作曲家の彼の人生や作品を想うだけで、全てがいっぱいになってしまう。

 

その、繰り返し。

 

皆さまは、ご存知だろうか。それを知ったら眠れなくなる旋律のこと。読み物のこと。映画のこと。バレエのこと。

 

珍しい作品のこととは限らず

きっと巷に溢れているものだったり。

 

でも、囚われてしまうのです。

夜は更けるが眠れなくもなり、日中もなにも見えなくなってしまうのです。

 

私は、こんなに目が大きいのに

歩いているときだって、ろくに見えていやしない。あのいろんなものでいっぱいで、頭も忙しいんだ。

まるで、でくのぼうのような目だ。なんの役にも立ちはしない。だから転ぶんだ。

 

なんだか、中原中也のような気分もしていますが、こう公言するのは初めてだな。

 

今日は、少し練習できた。長い時間だったけれど、少し、という感じだ。

そんな、今日でした。写真は、笑顔のラママ。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2