紀尾井町

『弾』20200116

今年は、サラサーテの年となりそうだ。

Twitter、Facebookページでお知らせしているが、3月12日に作家の津原泰水先生の解説を交えて文学に出てくる音楽という内容のコンサート『幻楽夜話』を開催する。既にお問い合わせも頂いているが、ご予約方法など詳細をご案内した告知ページを間もなく公開予定なので、もう少しお待ちくださいませ。

 

ただ、曲目はフライヤーで発表しているとおり、

クロイツェル・ソナタや、サラサーテのツィゴイネルワイゼンなどを演奏する。

 

そう、ツィゴイネルワイゼンだ。

 

去年、パガニーニを山ほど弾いていたときにはまさか自分が翌年にはサラサーテを弾くことになるとは思っていなかった。というのは、ツィゴイネルワイゼンのノリがいまいち掴めなくってずっと敬遠していたから。この人の他の音楽は大好物である。アンダルシアのロマンスとか。

でも、ジプシーヴァイオリンの話しを津原先生から教わっているうちに、なんとなく感触が掴めたんだよね。それで、できると思った。

で、今年は別でもこの人のカルメン幻想曲をやるかもしれなくって、こっちはまた大曲だ。

 

あと、4月18日に去年やっていた、ほんとに全部自分一人だけで弾くソロコンサートの改定版を開催予定で、この日はものすっごい大曲をやろうと思っていて、只今そっちも練習中。

で、今日はそんなのをやる前にゆったり音階を気分よく弾いておりました。気持良かった。

 

そんな、今日でした。

『夜の工場地帯(仮)』制作について

先日、新曲『夜の工場地帯(仮)』を発表した。

 

2分弱の短い小品だが、自分としてはわりと気に入っている。端的にまとまっていると思う。

 

この曲は、元々は昨年12月、紀尾井町サロンホールで開かれた戦友とみーの木曜コンサートにおいて演奏されたタレガというクラシックギター界では有名な作曲家の作品で印象的だったコード進行を用いている。

それは、コンサート前半に演奏され、強い足取りのコード進行に心惹かれ、途中の休憩時間にその場にいた周りの人たちに「これはどういうコード進行ですか?」と尋ねて回ったのだ。

その中で、多功さんという方がこの進行を解析して教えて下さった。この方は、とみーのお弟子さんであり、ジャズギタリストでもある。(とても親切で、お酒を作るのもうまい。私は彼にひたすらビールをサーバーから注いでもらったこともある。※しかも細身の美形。)

 

話しが逸れたが、そのおよそ2週間後。原宿カーサ・モーツァルトで開いた「虚飾遊戯」というコンサートで私は覚えたばかりのこの進行を用いて『朝もやの中へ』という曲を発表した。これもとても評判が良かった。当たり前だ。タレガの進行がとても格好いいからだ。

 

とみーいわく、この進行はムーア人の行進に使われたらしい。ムーア人とは、古い時代にヨーロッパから見てエジプトあたりのイスラム教徒を指した言いかただと思う。私の公式愛読書『ドン・キホーテ』にも頻繁に登場する。

なんで、とみーがムーア人のことにまで詳しいのか、私にはさっぱりわからない。大学の先生だからなのか、あまりに知識が幅広いのではないか。

 

『朝もやの中へ』は、ギターの響きをイメージして書いたのだった。ギターでないと出ることはない音の消え方。それが私は最高に好きだ。

 

今回も、格好いい曲を書きたいと思って、まず思い浮かんだのはやはりこの進行。私はギターは弾けない。だから違うリズムで違うメロディで運ぶしかない。

苦肉の策で浮かんだメロディは強すぎた。そこから1週間以上は続きが出てこなかった。だが、この進行に対して甘いメロディはダメだ。あの当時だってイスラム教とキリスト教の対立は激しかった。その進行を用いるからには、それなりの理由が見えないと。

 

タイトルは、後付けだ。曲を作りながら、これはあまり人の温度が感じられないと思った。それで制作の途中で付けた。仮でもタイトルが付くと、少し方向性が見える。それなら、よりこの無機質な性格で進もう、そう思った。

 

熱で具合が悪い日なんかもあったのだが、熱にうなされる明け方、うっすらと(あ。。。もっとこういこう。。。)などと思っていて、なぜかその記憶が日中にも残っていたからそれで試してみた。そうすると案外曲がまとまってきた。不思議なものだ。

 

一つの作品ができあがるまでの流れ。それも面白みがあるかもしれない、と思いこのように文章にしてみました。よろしければ、曲をお楽しみいただければ幸いです。

 

写真は、いつもメモ程度しか残さない私の楽譜。