里山

『田』 2019.1009

今日は山に行ってきた。

山といっても、私が通うそこはいわゆる里山である。だから、登山ではなく散歩の延長のようなものだ。

 

で、今日は気持ちがいい快晴であったので、ゆっくりと歩き回りながら自分でこしらえたサンドイッチを食べるということまでしてきた。

 

それにしても、過去の偉大な作曲家たちは大自然の中を散歩することで霊感を得て創作していたそうなのですが、あれって天才でないと霊感は降りてこないですよね。

この春から多ければ週に数回は山歩きに勤しむ私であるが、山の自然から何か創作のタネを感じたことはないうえに、これからもそれはないだろうな、と断言できてしまう。

 

なぜなら、

 

山歩きしながら、近隣の田んぼでとれたお米は美味しいだろうな~とか、里芋の葉っぱがずいぶん大きくなったから、ここらでとれる里芋はさぞかし立派だろうな、煮物にしたらずいぶんと美味しいんじゃないかしらとか、この木の栗は甘いのかしらとか、自然の中で飲む三ツ矢サイダーは最高に美味しいな~

とか、そんなことしか考えてやしないのだ。

 

今日も、歩きながらお昼に食べるサンドイッチが楽しみで仕方なかった。。。

 

そんな、今日でした。

2019年の集大成!11月24日「かっこいい曲しかやらない」ヴァイオリン・ピアノデュオ『美会夜会』 原宿カーサ・モーツァルトにて。

 

オールパガニーニシリーズ 10月22日『パガニーニ・ミーティングス vol.3』

『代』 2019.0826

ソロコンサートが終わって夜が明けた。

昨夜はなかなか寝付けなかった。

 

芸術的に興奮すると、眠れない。ここのところは眠れていたのだが、先週から弾く感覚が大きく変わったせいか、子どものころの不眠気味な神経に舞い戻ったかのようだ。

あの頃も、発表会の日の夜は眠れなかったなぁ。翌朝、学校に行くことが辛かった。寝不足で頭痛や気持ち悪さを抱えていたのと、日常に戻ることが辛かったのだ。

 

幸い、今は日常という時間が全て芸術のためだから、幸福だ。

 

今日は、11月24日のデュオコンサート『美会夜会』のための練習を軽くしていた。とても気持ちが良かった。一小節に数十分はかけるような時間が心地よい。

ふと、師匠の石井志都子先生がおっしゃった言葉を思い出した。

 

「私たちは、作曲家の言葉を借りて、表現しているのよ。」

 

代弁。表現するものは、己自身でいい、ということか。

今の私にはそう思えて、殊更心強く思えた。

 

写真は、里山散策中に見かけた梨の木。たわわに実る、作物と芸術。

そんな、今日でした。

「迫力」を音にするとこうだ!ヴァイオリン・ピアノデュオコンサート『美会夜会』11月24日19時開演。原宿カーサ・モーツァルトにて。

オールパガニーニシリーズ10月22日『パガニーニ・ミーティングス vol.3』

 

『逆』 2019.0529

ついさっき思いついて試してみたことなのですが、

何かというと、

 

練習の合間に逆立ちをする。

 

これがとても良さそうだった。

 

前にもいつかの日記で書いたとおり、楽器を弾くことと心身のバランスを整えることはつながっていると思っていて、日々里山散策に出かけたり朝散歩を行っているのも、全てそのためなのです。外に出かけられないときは、部屋の観葉植物を愛でていたり、とかね。

で、昨今の私は何しろパガニーニという恐ろしい人の作品群に向かっておるので、そういったことをより考えております。

 

小休止を入れながら練習するのだが、そこでストレッチをしたり軽い体操をしたり。で、その取り組みに簡単な逆立ち(といっても腕で支える筋力はないから頭で支える)を取り入れてみたら、いいですね。脳の働きも良くなるかのような感じがする。

脳の働きというのも不思議だな。

最近気が付いたけれど、演奏には動体視力の良さも必要ではないか、と思うし、人の認知の9割以上は視覚情報によるもので聴覚情報からは少ないんだよな。音楽家はきっとそれが多いんだろうけど、人本来の機能としては視覚からの認知を脳はしやすいわけであるから、それを工夫したほうが楽に演奏できるんじゃないか、という気がする。少なくとも練習するときはそうだ。楽譜の見方によって演奏はずいぶん変わってくる。そしてその楽譜を見ることは動体視力も実は大きく関係しているのではないかなと思う。音楽の流れにより耐えず動く手の動きと併せて譜面を見る、というのはその辺の能力も関係していそうだ。

 

とか、そんなことを思いながら過ごしているので、毎日練習部屋と山との往復なんだがこれはこれでとても興味深く、楽しい。

 

写真は、山にある水車小屋。今日の山は実にいい空気と風だった。

そんな、今日でした。

ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

『好』 2019.0509

今日も、例の山に行ってきた。

何せ、生まれ持った身体の弱さが活動への邪魔であるので、強靭な肉体を求めているのだ。

 

と言っても、そこまでの強さは求めてはいない。

 

私が手に入れたいのは、

自分が弾きたいものをちゃんと弾けるだけの身体。きちんと準備と練習ができる身体。

今は、それがぎりぎり手前だから、弾きたいものを我慢している。

 

演奏も体力勝負なんだねぇ。共演する方で「体力だけはあります!」とおっしゃる方々が羨ましくて仕方ない。そばで拝見していて、あぁ、その体力が私にもあれば、あんな練習してこんな練習して違う方向の勉強して逆からもやって。。。とできたら、思う存分弾けるだろうにな。。。と、切なくなったりする。

考えてみれば、一昨年くらいから演奏活動を始めてみたものの、体力のなさゆえに迷惑をかけてしまったこともあった。それについては本当に反省している。

ただ、自分の体力に合わせていては、いつまで経っても変わりはしない。

 

うちは、家族みんな身体が弱いのだ。病気じゃない、ちょっとした弱さの積み重ねがいくつもあって、母は昔から今でも「こんなに弱くてやっていけるのかしら」と娘たちを心配している。

 

そんなわけで、今の住まいから近い距離にある自然の里山に通って肉体の鍛錬を図っているのです。おかげさまで、最近は発熱が少なくなったし、いわゆる不定愁訴も少し楽になってきた気配がしている。

で、その里山には竹が多いんだ。

 

多い、というのは私の主観。他の山を知らない。あ、竹がある。という印象。

 

竹。

 

私は、竹が好きなんです。

 

真っ直ぐ伸びて、色が美しい。竹の葉が奏でる風の音は優しく美しい。

あぁ、いい音だなぁ。葉っぱが細いから、儚く音が消えゆく。さっきギターのとみーとのパガニーニ・ミーティングスのコンサートのお知らせをアップしたばかりだけれども、この儚さはクラシックギターみたいだとも思う。消え方が美しい。

 

好きな植物、と聞かれたら「竹」と答えるな。

 

最高に、癒してくれるから。

 

これで、身体が強くなった暁には。やりたいことをやるんだ。今は100分の1もできちゃいないんだからね。

 

そんな、今日でした。

なんといっても、このためにがんばっています。2019年7月7日 「青の時代 vol 3」