パガニーニ

『富』 2019.0512

お待たせ致しました。田中幾子でございます。

 

いやぁ、驚きました。

 

昼間まで元気にリハーサルしていて何事もなかったのに、急に発熱したと思ったら38度まで上がるんだもんな。しかも翌日も下がらない。おかげで楽しみにしていた「雨女」のレコーディングが延期になってしまった。(でも日程はすぐ決まりました。良かった。)

ま、でも熱以外の症状もなく、今日は無事に社会復帰できました。

ご心配おかけした皆さま、お心遣いありがとうございます。

 

で、今日は寝込んでいたぶんを取り戻すためのバタバタデーとなり、夜はとみーのところで会議に参加していた。といっても参加者は私ととみーの2人だけだが。

議題は、我らの「6月9日 パガニーニ・ミーティングス」のプログラムについてである。

 

とみーはですな、非常に面白い男で

今回のためなのかよく知らないが、パガニーニのデュオ曲の楽譜をいつの間にか、あれこれかなり買い込んでいて、それがまた日本では初演なのでは??と思われるようなものもいくつかある。そうでなくても、パガニーニをわざわざヴァイオリンとギターのデュオでやる人は少ないというのに、更に初演レベルときたら話題性だけはたっぷりだと思わざるを得ない。

それで、その中から選んだ曲の楽譜を私にくれた。

 

ほんとに、くれたんです。しかもヘンレー版。

 

(ヘンレー版とは、クラシック界においては印籠のような楽譜とも言えると思っている。アカデミックなこの世界においてかなり重用されるヘンレー社による原典版のことです。)

 

なんでも、「持っているのに間違えてまた買っちゃった」(よくある)現象らしい。

 

とは言っても、楽譜もらうのは嬉しーよね!しかも、ヘンレー版だぜ!

 

なので、私は今大層大喜びなのである。

 

そういえば、人生で楽譜をもらったことは2度目じゃないか。。。?1度目は、ずいぶんと前に「イザイを弾いてほしい」と言われて頂いた。そんなことされたらそりゃあがんばるさ。あぁ、昔ボーナフ先生に先生が出版なさった練習曲集を頂いたな、あれも嬉しかったな。今でも大事にしている。

 

あ、私に楽譜をくれた人は(今のところ)みな男性だ。

 

く~、とみーは私の3人目の男か。

 

なんてつまらん結論に至りながら、本日の田中幾子は終了でございます。

 

そんな、今日でした。

こっちでもパガニーニは弾いてるソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

『同』 2019.0510

今週末は予定が多い。

日ごろの私に比べたら、ということなのだが

 

今日は Yuuki 君という歌手の男の子とリハーサル。今度、彼のコンサートでヴァイオリンとピアノを担当することになったのです。(日時は News をご覧ください。)

明日は、私の「雨女」をレコーディング予定。明後日はとみーとパガニーニ・ミーティングスのリハーサルである。

 

ポップスの音楽というのは、楽譜にはコードしか書かれていないことが多く、どういう音をどういう雰囲気で弾くのかという情報は一切書かれていない。まぁ、即興の要素が強いんですね。コードの音ばかり弾いていてもつまらないから和声外音をどう入れようか、そこの工夫が面白いのかな、と思う。

 

ご存知のとおり、クラシックは偉大な作曲家が残したものを正確に弾くところから始まるわけですが、この正確に弾くということがそもそも大変難しい。昔、初めてベートーヴェンのヴァイオリンソナタに取り組んだときに出てきた彼特有の連続したスフォルツァンドや、突然のピアノなど、実際に弾くとなるといかに難しいのか痛感したのでした。それを経て基礎テクニックの向上により取り組もうと思ったのだったな。

 

で、即興的に創り上げていく音楽とクラシック、と考えていくと

 

本質的には、変わらない。

と、思うんだよな。

 

例えば私が大好きな仲良しのピアニストとやっていると互いの息や意思でどんどん音楽が熱狂的になっていく。タイミングも違う。どういくのか、ぐいぐい変わっていったりする。そのくらい「いっちゃえる」演奏ができる同士というのが一番の友達だと私は思っている。

もしかすると私の先生がおっしゃっていた「作曲家の言葉を借りて自分の考えを言う」、というのはこういうことかな、と思ったりする。何しろ、歴史に残る優れた言葉なのだから、それを借りるというのはすごいことだ。

 

で、創りながらやる音楽というのも、やはり同じ部分があって、その空気感を共有し合えれば思ってもみなかったメロディやリズムが自分の内側から勝手に出てくる。要は遠慮しないということというような気がする。案外やれば慣れるものなのかな、コード記号はまだあまり読めないけれど。

そんな面白さを感じながらリハーサルして、夜は明日のレコーディング用に(今まで全く書いていなかった)譜面を自分用に書き起こしたら案外手こずって。

 

と、そんな今日でした。

「雨女」の実演はこちら  ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

2019.0609 出演「パガニーニ・ミーティングス」

歴史に残るヴァイオリニストと言えば、まずその名前が挙がるパガニーニ。

実は、クラシックギターの名手でもありました。

この度、パガニーニが残したギターとヴァイオリンのデュオによるオールパガニーニプログラムをご披露します。

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『時』 2019.0507

私の日常をお伝えするという名目のこの漢字日記なのですが、

私の日常といえば、

 

夜は眠い。

 

昼は練習。

 

それしかない。

 

ヴァイオリニストというキラキラしていそうな職業でありながら、

美しく映える写真を撮れるような場所には滅多に出入りしないし、そういった飲食物も口にしない。

 

私の実態と言えば、今日も音階を練習し、ギターとのパガニーニをさらい、ピアノのハノン教本に感動し、バッハの舞曲を弾いて楽しかった。

そんなものである。

 

というわけで、本日も実に地味な一日を過ごしたのだが、ちょっとした試みを始めた。

それは、時間を決めて練習するということ。

 

何せ、練習する内容が多く、多岐にわたるものだから、

それぞれを納得するまでやっていると体力も気力も崩壊してしまうのだ、ということを最近認識した。

なので、制限時間を決めて全てその範囲で行う。

 

これはこれで、今までとは違う集中力が磨かれそうなので、初日としては満足した次第であり、その過程でどうしてもバッハの舞曲を弾きたくなってある意味遊んでいたのであります。

なんだかね、このパルティータ2番の舞曲たちは心と耳を洗うよね。。。

 

そして、今は普段はほとんどBGMをかけないのだが、珍しく流し聴きしているのはチャイコフスキーのオーケストラ作品。私は特に4番交響曲が好きだ。この人の音にある変な奇妙な濁りが大好きだ。それこそが人生だ、と言いたくなるのだ。チャイコを聴きたくなったのは、パガニーニのデュオをさらったからだろうな。幼い頃に楽しかった子供向けの作品エア・ヴァリエのような楽しい旋律がたくさん、その頃に楽しかったバレエで踊ったチャイコフスキー。

そんな、時の流れが私もある。

 

そんな、今日でした。

 

『三』 2019.0505

本日は、「青の時代 vol 2」でした。お越しいただいた皆様、ありがとうございました。

田中幾子は、たくさん弾き、歌い、そして、もう、いない。

もう、人でなくなっちまったよ。

 

なんだろう、この自分の境界線がなくなった感じ。。。

 

思えば、帰り道からそうだったな。電車の椅子に座ったとたんに形がなくなってしまったんだよな。

 

そのくらい、出し切った。

 

のでした。

 

しかし、おかげさまで第3回目も決まり(7月7日の14時開演でございます。今日より30分早いのでお間違えなく!)、それに6月9日は戦友とみーとのパガニーニデュオ。

だもので、明日からはその練習にとりかかります。

で、ダイエットも明日からなの。。。今日はご褒美に近所の評判のケーキ屋さんで2つも買っちゃった。

 

そんな、今日でした。

2019.01.09 いつまでたっても

何も変わっちゃいなかった

これを書いている1月9日。この週末に急に出番が決まった演奏会があるのだが、その決まった日というのが、先日の6日の夜のことでした。

最近弾いている演目の他、試してみたい曲を入れ、それとは別に来月以降に取り入れたい曲、やるのはずっと先だが早めに仕上げたい曲などなど、それらを今のスケジュールで練習していくことを話し合っていたら、つい叫んでしまっていた。

「こんなに頑張ったら死んじゃうよ!」

あ、と思った。

遠い昔、同じようなことを叫んだ記憶がまざまざと甦った。

 

確か、小学生の頃。夏休みだった。一日に8時間くらい練習しなさい、と言われて私は叫んだのだった。

「そんなに練習したら、私死んじゃうよ!」

そしたら、姉と母は大笑い!「死んでごらん、新聞に載るから!」

えー、なんなのそれ。意味がわからない。

私より8つも年上の姉は母と同じ大人の考えの持ち主だったから、余計私はぶすっとしたのだった。

 

あ、今あのときと同じこと言ってる。

あの時と若干セリフは違うし、あの時は8時間さらわなかった。

それになんといっても、ヴァイオリンの練習のしすぎでいたいけな少女が死に至ることがあれば、それは例えばパガニーニには悪魔が憑りついているから埋葬の許可が降りないとかいう逸話に匹敵するくらい、クラシック史上を賑わせられる世にも珍しい出来事として語り継がれるであろうことはいくら私が天然ボケの名人であったとしてもわかっている。

その時私が気が付いたのは、

あ、私って変わらないんだ。ということ。

 

物心ついたときから好きな曲は変わらない。

あの頃レッスンで習った曲、どんなふうに弾きたいとか。その当時に叶わなかった理想のイメージをなんとか叶えようと弾いているけど、いつになったらできるのかなぁ。

そうなんだよなぁ。生まれてこのかた、好きなものが変わったことがない。

好きな色に好きなスタイル。飽きそうなものは、最初から手を出さない。

 

そんなふうにして、自分を知ることができるから、音楽はいい。ヴァイオリンはいい。幼いときから続けるものだからね。

ちなみに、本件に出てくるくだんの名セリフ。数年前に、ヴァイオリンを習っているよく弾ける少女と話したときに、彼女は間違いなく同じことを口走った。なるほど。これは、ヴァイオリン少女にとっては避けては通れないことなのかしれない。

なにしろ弾いている間は、いつまでたっても少女の頃と変わりないからね。

 

 

ちなみに写真は、最近聴いているレオニード・コーガンのメンデルスゾーン。これのラロがまたいいんだ。こんなことしていると時を忘れちゃう。はい、おしまい。