読書

『戻』 2020.0613

作曲も手掛けているヴァイオリニストなのですが、私の作曲はまずピアノで行う。

というか、今のところピアノ以外では作曲をしていない。

 

というのは、音楽全体を見渡すのにはやはりピアノという楽器が私には都合がいいからである。恐らく、ベートーヴェンやモーツァルト、ブラームスといった元々ピアニストだった作曲家の作品を勉強し続けてきたことが大きいのだと思う。特に、ベートーヴェンは勉強になるから、彼のピアノ曲はうまく弾けずともやらないといけない。

それと、常に自分が演奏する曲のピアノ伴奏部分も必ず弾くようにしているのも大きい。ピアノ伴奏譜には、ピアノの音とヴァイオリンの音の両方が印刷されてあるから、曲がきちんと見えてくる。こうしてピアノの動きも頭に入れたうえで自分のパートを覚えている。

 

で、こういった作業がまるで読書に近いようなのです。

だから、生来の活字好きで本の虫であるはずなのに、音楽をすればするほど本が読めなくなる。

 

こんなジレンマを抱えていたのだけれども。

 

このところ、アルバム作成などで作曲のペースが上がったからなのか、日々即興も発表し創作行為に身を置いているからなのか、

 

作曲しながら、読書も楽しめるようになってきました。

これは、非常に喜ばしいことであるから、こうして日記に記している。感覚が戻ってきて良かった。

 

ちなみに、私は文庫本が好きです。枕元でも出掛ける鞄の中でも、身近にいられるから。

写真は、読みかけのロシア文学。トルストイの「アンナ・カレーニナ」とお気に入りの栞。あぁ、この読み耽る時間の楽しいことよ。

 

そんな、今日でした。

『秋』 2019.1010

昨日は、一日食欲にまみれた日だった。

およそ、私は食欲がないときというのがない。

身体が弱い、などとぬかしておきながら、食欲だけは常にある。そんな、女なのだ。

 

ま、風邪のときとか稀に食べられないときもありますけどね。

 

食欲の秋とか、世間では言うけれども、そもそも食欲に季節は関係がない人生を送ってきている。

あとついでに、読書の秋だとか、スポーツの秋、芸術の秋。

このあたりも一切無縁だ。

 

だって、本は常に読んでたいし、スポーツは常に苦手だし、音楽と美術は好きに決まっている。

この、「〇〇の秋」とはなんなのだろう。そこに迎合しない私とは一体なんなのであろうか。

 

そう、自問自答しながら

今日も神田の老舗店の醤油ラーメンをすするのであった。チャーシューが脂ぽくなくて美味しかった。早く、栗のお菓子食べたい。

 

そんな、今日でした。写真は、台風のために室内避難したパキラ。

2019年の集大成!11月24日「かっこいい曲しかやらない」ヴァイオリン・ピアノデュオ『美会夜会』 原宿カーサ・モーツァルトにて。

 

オールパガニーニシリーズ 10月22日『パガニーニ・ミーティングス vol.3』

 

 

『読』 2019.1007

最近、読書量が急に増えた。

元々、かなりの読書好きで活字中毒、小学校のときは二宮金次郎ばりにランドセルを背負ったまま登下校中に読書し、お菓子の箱に入った能書きに至るまで読み耽るたちなのだが、

この数年は、音楽活動が忙しく、ほとんど読んでいなかった。

 

だってだって、読んでたら何もかもしなくなっちゃうんだもん。

 

あとまぁ、楽譜を読むということがかなり読書に近い行為のようで、いろいろと音楽の研究をしたりすると、あまり読めなくなる。

 

不思議ですなぁ。

 

なんだが、とかく最近は読書が楽しくて、特に現代の作家による小説を読み漁っているのだ。

 

池井戸潤に石田衣良、こないだ読んだ湊かなえ。。。

 

これまでは、読書のときには音楽のようにあまり分析できていなかったのだけれども、それもできそうになってきた。だから、非常に面白い。

 

こうなると、もっともっと。となってくる。それが気持ちいいし、楽しい。

 

あ~早く、自分でも次を書きたいな!

 

素直すぎてつまらん日記だな。そんな、今日でした。

 

2019年の集大成!11月24日「かっこいい曲しかやらない」ヴァイオリン・ピアノデュオ『美会夜会』 原宿カーサ・モーツァルトにて。

 

オールパガニーニシリーズ 10月22日『パガニーニ・ミーティングス vol.3』

 

 

『湊』 2019.1004

昨日は、個人的な用事で半日ほど神田のあたりにいた。

帰りも遅くなったので、たいしたこともせず寝入ってしまったのだが、

 

今日も今日とて、

 

たいしたことは、していない。

 

何をやったかな、山には行った。私の行く山には、まだ蝉が鳴いている。彼らは、一体いつまで鳴いているのだろう。

こおろぎを、初めて現物を見た。今まで鳴き声しか知らなかったのだ。

 

田んぼの収獲の様子を愛でながら、うまい空気を吸う。

 

練習なんかもしたのだけれども、それ以上に最近楽しくて仕方がないのが読書であって、隙あらば本を読んでしまう。

今日、新鮮な発見があったのは湊かなえさんの作品。恥ずかしながら、今まで一度も読んだことがなかったのだ。

これは、私には大きな驚きだから、もうちょっと読み返そう。

端的に言うと、男性の描写がうまかった。私にはそう思えた。

 

誤解を恐れずに言うと、女性的な作品があまり得意ではなくて、マンガで言えば戦闘シーンがバンバンあるような熱い少年マンガが好みなので、どうも小説にもそれを求めてしまうようなのですが、

今回の作品は、恋愛ものなのに、面白かった。

 

小説面白い。小説面白いよ。みんなもっと小説読んだほうがいいよ。

 

そんな、今日でした。

2019年の集大成!11月24日「かっこいい曲しかやらない」ヴァイオリン・ピアノデュオ『美会夜会』 原宿カーサ・モーツァルトにて。

 

オールパガニーニシリーズ 10月22日『パガニーニ・ミーティングス vol.3』

演奏動画

『動』 2019.0924

元来、出不精だし一人で過ごす孤独が好きだ。

 

読書好きの私は、家に閉じこもって一人きりでひたすら読み耽りたくなる。そのようにして、一人で大作曲家のスコアを眺め、ピアノで弾いてみて。。。という遊びとも研究ともつかない時間に身を任せたい。

 

それでいて、その欲求が過ぎればただ単に身体を動かしたくなる。

 

山の空気を吸い、家ではバレエを練習する。楽器の練習はそのあとだ。運動で身も心も軽くなった幾子のほうが扱いがいいからだ。

 

そういえば、自転車は乗れない。

 

危ないから乗るのをやめて、と家族に懇願された。

 

傍から見ていて危険を感じるくらい、下手くそな乗りようだそうだ。

 

走るのも、苦手。

 

得意な運動は、なんだろう?子どもの頃は障害物競走が得意だった。あれだけは、2位。1位になることは滅多になく、逆に3位以下になったことはなかったような気がする。

 

虫や両生類、爬虫類が怖くて仕方ない性分だから、山も長いこと避けて生きてきたのだけど、人より年月を生きる木々と、彼らが奏でる風の音に私の全てが洗われるから通うしかない。

 

こうしてみると、最近は動と静のありようが変わりつつあるようで、まだその変化に慣れないでいる。

まぁ、そうして私も生きている、ということで。

 

そんな、今日でした。山で見かけた彼岸花。

2019年の集大成!11月24日「かっこいい曲しかやらない」ヴァイオリン・ピアノデュオ『美会夜会』 原宿カーサ・モーツァルトにて。

 

オールパガニーニシリーズ 10月22日『パガニーニ・ミーティングス vol.3』

 

 

 

『歩』 20190901

先月のソロコンサートで、弾き方へのイメージが大きく変わったからなのか、

この春から始めた山歩きが功を奏して、健康的になってきたからなのかわからないが、

 

このところ、ずいぶんと子供の頃のような感覚と変化してきている。

 

大人になる、というのは、

童心を失う、とイコールなのではなくて、

 

あの頃好きだったもの、その動き、香り、鮮やかさ。

 

そういったものが、

 

長い年月を経て、大人になった私の中から改めて生まれてこようとしている。

 

これは、なんなのだろう?どうして、私は今読む書物が生き生きとしていて、好きだったバレエはもっと大好きになり、見るもの聴くもの全てが新しいような、そんな感じがするのだろう?

 

わからない。

 

けれど思う。

 

きっと、これは次への道の一歩、だと。

 

そんな、今日でした。

『好』 2019.0721

最近、志賀直哉を好きになってきている。

昔、初めて読んだころの感想は、ずいぶんと文体がそっけなくてつまんないなぁ、というものだった。それで彼の作品をあれこれとは読まなかったものだ。

しかし、このところは、この簡潔さを形作る言葉たちに珠玉の美しさを感じている。瑞々しい言葉の連なりは、詩を読むのとはまた違う美しさだけれどもそれに近いような柔らかな空気をまとっている。きっと、言葉が少ないからそう感じるのだろうな。

 

音楽の傍ら読み進むので、あまりまとまった時間は取れないのだけれども、家の随所に数冊ずつ書物を置いておき、一日の中で数ページなり数行なり読むような読み方をしている。こんな読み方でも愉しみを覚えさせてくれるのだから、読書はいい。ちなみに、今日は松尾芭蕉の「奥の細道」を読み始めた。面白い。こちらも簡潔で、心に沁みる内容をスッキリとした構成で伝えてくれる。いいなぁ。こんなふうに私も曲を書きたいなぁ。

 

写真は、数ヵ月前のどこかで撮った月の様子。こんなふうに晴れた夜空が待ち遠しいですね。

そんな、今日でした。

ここでお配りする読み物はたいしたものじゃあない。ソロコンサートシリーズ。ヴァイオリン超絶技巧無伴奏、オリジナル曲、即興演奏など。次回は8月25日エムズカンティーナにて。『青の時代 vol.4』

オールパガニーニプログラムシリーズ『パガニーニ・ミーティングス vol.2』

『志』 2019.0612

このところ志賀直哉の作品を読んでいる。といっても、移動中の電車内で数分読むくらいだったりするのですが。遥か昔に読んだはずの「暗夜行路」や「小僧の神様」などを読んでいる。

不思議なのは、以前の読後感とは全く違う感想を抱くことだなぁ。

 

そういえば、ヘミングウェイの「老人と海」なんかもそうだった。10年ほど間を空けてまた読むと、以前とは違うものを感じ、私は恐ろしく感動したのだった。

 

それにしても、こういう簡潔な文体の物語はいいな。あのロシア文学だったりフランス文学だったり一向に終わりそうにない文体と長さは、終わりにたどり着く前に、ついていけなくなってしまう。

いつかは読破してみたいんだけど。「失われたときを求めて」は。

 

そんな、今日でした。写真は、先日の移動中。

エッセイはお配りしますが文豪のような素晴らしいものは当然書けません。ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

『泣』 2019.0508

自覚はないのだが、相当活字中毒な人間であって、気が付いたらいつも活字を追っている。

個人的に好きなのは、ちょっとした箱に入っているお菓子についてる能書き。

昨今はこの能書きが、ただのパンフレットと化していることも多いのですが、私はぜひ文章を読みたい。創業の歴史なり製法へのこだわりなどが美しい言葉で書かれているのですよね。あぁ、お菓子への愛情っていいな、と思う幸福を感じられる。

 

ま、私の小学生時代は薪でなくランドセルを背負いながら本を読むという二宮金次郎ぶりであったので、やはり活字中毒者と言える育ちなのかもしれない。

 

で、そんな私が好きな書物のうちの一つに辞書がある。

 

例えば、私の持つ英和辞典の「spring」の項を見ると、動詞としての跳ぶ、おどる、はねる、といった意味のずっとあとに名詞として跳躍、飛躍、跳ね返り、などが続き、そのあとに泉、源泉、そして温泉、春、と来るわけであります。

こういうのを読んでいると、

春という季節と、春に見られる現象とが同じ言葉として用いられているかのようで、

心密かに「ほぉ~~~っ。。。。」と感心するし、

この楽しみに延々と浸っていたい。。。

という欲求に駆られるのです。

 

でも、そんな時間はない。私は練習しないといけないのだ。

なので、泣く泣く書を閉じ、練習部屋へと戻る毎日である。

 

そんな、今日でした。

 

楽しみを犠牲にしてがんばっているソロコンサートのお知らせ 20197月7日「青の時代 Vol.3」

『尊』 2019.0407

ここのところ、「音楽以外のこと」にあまり力を注がないように気を付けていて

そうすると、少し余裕が出てくる。

 

で、今日は久しぶりに本を開いた。

「相聞」近藤富枝著。

 

相聞というくらいだから、男女間のことを書いてあるのだけど(私が苦手なやつだ)この人は徹底的にジャーナリストなんだな。驚くほど緻密に事実を調べてあることと同時に、その格調の高さに恐れ入る。こういう本を読むと私は間違いなく眠れなくなるんだ。だから、読むのは少しだけにした。

なんでこの本を持っているかというと、坂口安吾のことが書いてあるから。安吾の「堕落論」は私の気に入りの一冊。

ちなみに、私は小林秀雄がよくわからない。少し紐解いてもさっぱりわからない感じがするから、結局のところ読まずじまいになってしまって、私が読む小林秀雄の文章と言えば、安吾の随筆に出てくるもの数行、といったところです。

いつかは、小林秀雄も読めなければ一人前とは言えないのではないかと思っていたけれど、

そんなことない。他に読めるものはたくさんあるものだ。

と、思えるようになった最近。

 

今日の一冊もそんなうちの一つだ。こんな凄い仕事をした女性は、そうそういまい。

尊敬。

 

そんな、今日でした。

 

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2