ちょっと前に、微熱が続いていたことがあったから、いくらか検査したり相談をしていた。私のことを知っている方はご存じかもしれないが、実は元来虚弱体質であるので、微熱といった不定愁訴的な症状は幼少のときからの付き合いだ。いくら検査しようと、何も出てきやしない。そういった人生を歩んできているので、今更という感じではあるのだが、人から薦められたものを一通り行い、結果何も出てこなかった。
ただまぁ、人に相談しているうちに、いい発見があって、それは身体の中心線を鍛えるということ。
中心線というのは、身体の脊髄のあたりを上下に通る細い線で、この芯がしっかりしていないと演奏なんてのはできやしないから、割合気をつけてはいるほうであるのだが、これを今まで以上に意識するというのだ。というのは、この線上に大事な神経がいくつも通っているから、脊髄の働きが良くなり、結果血の巡りが良くなるからだ。
で、これが
身体の具合と共に、演奏上にも非常にいい。
あぁ、今まで気を付けているほうだと思っていたけれども、そうではなくて、
自分のためにずっと求めていくのだな、と思った。自分の芯を。
全てにおいて、芯を求めよう。そう思ってこういった写真も撮っている。
そんな、今日でした。
先日開催したオールパガニーニコンサート『Paganini Meetings5』に来られたお客様に、私の音を聴くと肩や頭のあたりがスッと楽になって、柔らかくなるというようなことを言われた。
そう言えば、ずっと前に
重度の身体障碍者の方たちの前でコンサートを開いたことがあって、
そこでも同じようなことを言われたことを思い出した。時々言われることだ。
違う言いかたをされる場合もあるが、私の音が肌にいい刺激になって包まれて気持ちよくなるらしい。ある意味マッサージのようなものというのか。
その障碍者の方々のところでのコンサートでもそうだった。
普段は、音を聴くとびっくりして逃げ出してしまう少年や、怖がる方もいたそうなのだが、
30分近いコンサートでは、私のドレスの裾が触れるくらい足元に寄って座り込んで聴いていたんだよなぁ。(その時はまともなロングドレスで演奏していた。)
主催者の方がヴァイオリン好きで、そのときも私一人で弾いたのだったが、それが良かったのか、皆さんすごく気持ちよくなって下さったようだった。
音は空気振動だから、敏感な人や繊細な人にはそれが伝わるのかもしれません。
私は、肩当てをしないから、自分自身も楽器と音と一体になっていたいし、
どこまでも敬愛するヴァイオリンという楽器と弓で肉体まで心地良さを感じてもらったら、それは最高に幸せだなぁと思いました。
温泉みたい、だってさ。
写真は、最近イメチェンしたから撮ってみたやつ。
そんな、今日でした。
お待たせしました。とうとうコンサート告知です。告知していいのやらどうかだいぶ悩んではいたのですが、もー堂々とやっちゃうもんね。
悪魔的超絶技巧曲で知られるパガニーニだけのコンサート。共演はクラシックギタリスト富川勝智。パガニーニは、ギタリストでもあったのでギター曲もたくさん残している上、ヴァイオリンとギターの曲もあるのです。それが大変演奏が厄介なものも多いのです。この会は、わざわざその厄介なものを歴史の棚の底から取り出して皆様にお聴き頂こうという趣旨でございます。
てなわけで、今日は久しぶりに富川せんせとリハやったよ!およそ半年ぶりに会って、物凄ーく楽しかったよ!富川せんせのHPはこちら。私と違って立派なお方だよ!
曲目は、
クラシックギターとヴァイオリンのために書かれたアンサンブルや、かの有名な「24のカプリス」からカプリス24番(私が大変)、このカプリスと同時期に双璧として書かれギター伴奏が大変凝っている超絶技巧曲「バルカバ変奏曲」(私が大変)など、私が大変な曲をメインにお送り致します。あと、ギターも弾きにくいそうです。
ちなみに、パガニーニについて以前書いた記事があるのでもし良かったらお読み下さい。「パガニーニの呪文」
とにかく「バルカバ変奏曲」というのが珍しい。カプリスのような超絶技巧曲で結構面白いのに、めったに演奏されないんだものな。たぶん、共演してくれるギタリストがいないんだろうな。そう、ギターとのデュオって珍しいのですよ!だけど、すごくいいからぜひ知ってほしい!素敵で軽やかでお洒落な音楽になるんですよ!
どんなにがんばっても、満員電車ほどは密にならないコンサート。お客様方は皆様静かに座って聴いておられるのでご心配ないかと思われます。
詳細はこちら。
7月19日 14時開演(13時半開場)
入場料:前売り2500円、当日3000円(ドリンク別途)
会場:エムズカンティーナ
所在地:東京都世田谷区上馬4−4−8新町駒沢ビル2F
主催:moment
ご予約は、私のほうでも受け付けております。感染対策をしながら、皆さまのお越しをお待ちしております。
馬と言えば、擦弦楽器の弓の毛は馬のしっぽで出来ている。
天然のを、漂白してあるんです。あまりにぼろぼろなのは取り除いて。これを弦にこすりつけて弾くんだから、弾いているうちに摩耗してくる。それをたまに交換するのを毛替えと言います。
あと、ラヴェルのツィガーヌという曲があるが(ツィゴイネルワイゼンと同じくジプシー調の超絶ヴァイオリン曲で実はツィゴイネルワイゼンを遥かにしのぐ難しさ)これの冒頭なんか、私のイメージは「馬みたいに弾く」だ。馬が鳴くときのあの勇ましさ、そして野生。そんな感じがする。
てなわけで
今朝ははるばる、横浜馬車道まで出かけて参りました。
これについては、のちのちおもろいものを発表する準備に邁進しておるので、今しばらくお待ち頂きたいのだが、
同行メンバーは、津原泰水。そしてピアノ藤井麻理。
先生と麻理ちゃんと3人で朝っぱらから楽しいコトやってきたぜ!!
コトが済んだあとは、3人で気持ちがいいお喋り。先生の話題の豊富なこと!普通じゃないね。さすが次々と引き込まれる作品を出されるはずだ。それにしても、先生の語り口は愉しい。柔らかい声に、優しい眼差し。まるでずっと浸かっていたい変ロ長調のフラット2つの幸せ。
写真は、コト済んだあとの間抜けな私の背中と佇む先生。撮影は麻理ちゃんさ。
そんな、今日でした。
私以外は2人とも先生。文学と音楽が出会うコンサート『幻楽夜話』~超絶ヴァイオリンが再現する名作文学に流れる調べ~
3/12『幻楽夜話』のためのリハーサルが数日後に決まった。
今回は、ヴァイオリンとピアノのために書かれた曲ではない、オーケストラ作品なども演奏するため、リハーサル前の打ち合わせが必要で、それ自体音を出しながらやる、というものだ。
そして、私はあることに震撼している。
それは、そのリハーサルが
早朝に行われる、ということ。なんてことなの。
ここで言う早朝とは、極めて個人に由来する体感的な尺度による表現であって、一般的には決して早朝ではない。だって、朝9時からだもん。でも、だって、そうしたら私、7時半くらいに電車乗ってかないといけない。
なぜならば、午前中という時間帯に混んだ急行電車で立っていると貧血で倒れてしまうという習性の持ち主なのだ、倒れちゃうと回復までおよそ2時間はかかる。これは今までの都会生活で唯一学んだ護身術でもあって、私はいくつもの駅で駅員さんの仮眠室にお世話になってきた。だから早めに出て各駅停車の電車に乗らなければいけない。
今日、お昼ご飯を作りながらこのことに思いを馳せ、ふと思い出した。
私、そういや高校時代はゼロ限のために6時起きで学校行ってたじゃない!(ゼロ限とは、1時間目の前に行われる授業であって、7時40分からスタートする。)だから、その気になったら6時台にだって起きられるじゃん!
即、別の声が聴こえる。
馬鹿かお前は!!その分、学校に着いてからしこたま授業中に寝ていただろうが!!お前はリハーサル中に寝るつもりか!!この馬鹿たれが!!学校には毎日5~10分遅刻していただろうが!!己のだらしなさを葬ったつもりでいるのか!!
そうだ、私ゼロ限に定時に行ったことなんてたぶん3回くらいしかないし、着いたら寝ちゃうし、それで立たされて、立ったままでも寝ちゃって辛かったんだ。立って寝るって、辛いんですよ皆さん、やらないほうがいいよ。
そして、くだんの懸念へと戻る。こうして、アイティの悩みはループする。
写真は、練習のお供のバランスボールで怯える私。
そんな、今日でした。
3/12『幻楽夜話』の準備をしている。
内田百閒が書いた『サラサーテの盤』には、サラサーテの自演レコードのツィゴイネルワイゼンの演奏が登場するのだが、
まぁ、このサラサーテという人の音楽には、しばしば左手ピチカートというものが出てくる。
で、この左手ピチカート。
正直、苦手なんだよね。
指の力が強くないので、弦を押さえたままはじく、というのがなかなか要領が得られにくい。特に、こういうところは曲のスピードも速いですしね。
で、私が開発したやり方は
①直前に弾く音の左指を押さえる力は極力弱く、音の響きは右手の運動でだけ出し、且つ、右手は強めに弓を押さえる。
②3、4の指と同時に押さえていた1の指も弦から離す。(こうすることで左手の力をできるだけ楽に使えるようにする。)
③ピチカートが終わった瞬間に左指はしっかり次の音を押さえる。
こうすると、私なんかでもサラサーテの左手ピチカートが形になってくる。
ね?音楽は解説で読んだってよくわからないでしょ?というわけで、実演をばご覧あそばせ。ご予約はこちらでございます。3/12『幻楽夜話』
そんな、今日でした。写真は、そのピチカートの指。
こんばんは。アイティです。
今日は、母校の大学図書館で3/12『幻楽夜話』で使う楽譜をいろいろと調べてきた。今回は、ヴァイオリンのために書かれた曲ではない作品も演奏するため、下調べが必要なのだ。
アレンジ、というやつをするのですが、
アレンジするにも材料が必要。
それも、良質な材料がよろしい。だってさ、センスいいものは古くたってセンスいいのよ。芸術ってそんなものよ。
で、資料として使うために結果として大量にコピーをし、実際に音を出すのはうちに帰ってから。
ほら、早速見つけたよ。「これ、音おかしいんじゃ?」スコアと照らし合わせる。「う~、この音採用したのかぁ。(無言)」
オーケストラの曲をヴァイオリンとピアノで弾いたりするのですからね、それ相当の工夫というものが必要になるわけで、で私みたいな人はこの工夫が超絶楽しいったらありゃしない。
何せ、人生かけて遊んでますからね!
写真は、サラサーテのツィゴイネルワイゼン。自演盤は残された楽譜と違う音を弾いている。
そんな、今日でした。
最近は忙しくてほとんどやっていないが、昔から弾けない曲のスコアを音源聴きながら分析したり、弾けもしないピアノ曲をさわることが好きだ。
オケの譜面とか。カルテットとか。
ブラームスのカルテットなんてスコア見ているとその緻密さと研ぎ澄まされた緊張感からのゆったりとした音楽の造り込まれた構成に、とても同じ人間の技だとは思えない、と感じる。
モーツァルトは、ピアノ協奏曲なんか案外楽しいのですよ。この人のピアノ協奏曲は、彼における一つのジャンルと化しているので、オケとピアノの具合が素晴らしくバランスが整っていない。単純なソロと伴奏じゃあないからね。そこから生まれる妙というのがこの上なく美しい。
そんなふうにしていると時間はあっという間。
ただ、でもこうして弾けない曲にふれて、弾けるものは少しでも弾いてみて、そうすると何がしか自分の中にいろんな栄養素が入ってくるかのようで、それはときに疲れる。私はしょっちゅう湯あたりしている。食べてもないのに、いろんな人の成分が入ってくるのだものな。
読書もそうだな、少しでも手に取って読もうとしているうちに知らずのうちに私の中には文学が入ってくる、きっと。さしずめ、毎日種類の違う温泉に浸かっているかのようだ、この人生。
写真は、習慣にしている里山歩きで見かけた山茶花の瑞々しさに心奪われて。
そんな、今日でした。
3/12に開催予定しておりました下記のコンサート『幻楽夜話』は、新型コロナウィルス感染症の拡大防止のため中止と致します。
つきましては、チケットご購入のお客様にはパスマーケットを通して順次払い戻しを対応させて頂きます。お問い合わせはメールもしくはツイッター@it_violinまでDMでご連絡くださいませ。
本公演を楽しみにして頂いた皆様には大変申し訳ございません。
ご理解ご協力のほど何卒よろしくお願い申し上げます。
また、田中幾子、藤井麻理、津原泰水3名の今後の活動をご期待くださいませ。どうぞよろしくお願い申し上げます。
ーしかし、私はあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。(マタイによる福音書第5章28)ー
私の持つ『クロイツェル・ソナタ』の冒頭にある文章。物語は早春の汽車の中で始まります。
そう、これはベートーヴェンの『クロイツェル・ソナタ』のことではない。トルストイの『クロイツェル・ソナタ』のことであって、物語はベートーヴェンの『クロイツェル・ソナタ』の音楽と絡み合うように進んでいく、その様子はあの激昂した1楽章、ヴァイオリンとピアノが恐ろしいほど複雑に蛇のようになっているさまを彷彿とさせるようで、このストーリーは、ベートーヴェンの音楽を抜きには語れない。