ベートーヴェン

『髪』 2024.0427

指揮者になれるというオーケストラ企画、これのために日々エベレストのような傑作をアレンジし続けているわけですが、

そんな中で「これは絶対無理だから、やりたい人は大勢いるだろうけど絶対やらない」

と思っていたある名曲に

「あれ、これこうすればできるんじゃない?」

と思ってしまい、

 

結果、その曲を一生懸命勉強して(勉強のためにまずピアノ練習して)

脳内がその作品や作曲家でいっぱいになってしまっているわけであります。

 

そうすると、何をしていても気になっちゃうんだなぁ~……私の恋するその音楽を書いたその人のことが。

 

そう、その夜私はとても疲れてしまっており、もうこのまま髪の毛もとかさずに寝入ってしまおうかと思っていました。

が、そこで思い出したのです。

恋するその音楽を書いたその人のことを。

 

その人は、髪の毛がもじゃもじゃの肖像画で有名で、実際身だしなみだとかいろいろに難があったとも言われていて、その中でも最強の説は

なんとお客様も来る作曲用の部屋のピアノの下にトイレ壺をそのまま置いてあったそうで、それはもうわざわざ想像する必要もないくらい凄まじいことになってしまっていたそうなのです。きっとその人の言い分は、用を足すために別室に出向くのも我が芸術にとってはくだらないことだから、だったんだろう。

そしてその話はその人亡きあと現代の極東日本においてまで知られるほどの威力を発揮してしまっているんだけど、なんてことだろう!

 

そんなわけで、私は自分が髪の毛もとかさずに就寝してしまうのは芸術性の程度からいってその人がトイレ壺をそこに置いてしまっていることと何ら違いがないのだとその瞬間雷光に打たれたかのように悟り、結果ちゃんとお手入れをして休んだのでした。だって、私がもっと素晴らしくできていたらそれは同程度とならないのかもしれないけれども、私なんかその人の銅像に止まる蠅くらいの芸術性なんだから、せめて髪の毛くらい……!!

 

この写真は、別日クローズドの演奏会場で友人に隠し撮りされていた髪の毛お手入れの様子。この日はベートーヴェンは弾いてないよ(あっ、その人の名前を言っちゃった!)

そんな、お話しでした。

 

『細』 2021.1122

ご存知のように、私はつい先日まで「ユア・オーケストラ」にかかっていた。

まぁ大変でしたし、まだ処理があってクロージングできていないんだが、でも今後への展開も望めそうな気配がしてきているし、これがこんなにも世の中において喜ばれる企画であるならがんばって続けようと思う次第であります。

 

具体的にはさ、オケのスコアを見ながら弾いて勉強するのだが、その弾く前にマーカーでいろいろ印つけるんだよ。このメロディラインがチェロから木管楽器に移り変わるだとかさ、ここのリズムは目立ちにくいけど絶対重要、これ聴こえないと演奏が崩壊する、とかさ、ここの合図の出し方難しいからこれだけはリハで要確認とか、このメロディを全パートTutti(トゥッティというクラシック音楽用語で、ソロに対して全員という意味合いです)だとその合図がすごく難しい、どうやって決めるか、とか。そう、Tuttiでメロディって結構怖い。特にメロディアスだと音符を長く伸ばすような瞬間でずれやすいんだよ。そういうことを私はよく知っているんだよ。あとユアオケの人たちはみんな超絶上手くて腕に覚えがあるような猛者揃いだからそのへんも共通認識なんだよ。その時に私がどういう合図を出すかで全てが決まるんだよ。

私は今までオケのコンマスをやったことは実はなくて、なんで今回その任務を引き受けることにしたかっていうと、昔のウィーンフィルで最年少かな、そのコンサートマスターを務めたシモン・ゴールドベルクっていう凄腕のヴァイオリニストがいてさ、その方は晩年に日本人ピアニストと結婚なさったからコンマス時代のことなんかを連載記事で暗記するほど読んだからなんだよ。ナチス政権下でユダヤ系だった彼は大変な目に遭ったが戦後しばらく休養期間を経て今度はソリストとしてカムバックした、という方なのだが、その方が

 

ジャワ島のユダヤ人収容所で

唯一、私物の持ち込みを許されて

それがストラディヴァリウスで

強制労働はわりと簡単なもの

で、

 

いつまで続くかも分からない気が狂った政権下で人達も気が狂いそう、そんな中その収容所では非公式にコンサートが許された。

彼は、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の総譜を全て暗譜しており、わずかな紙切れや木の葉まで使って残り少ないインクのペンで書き記し、同じように捕まったユダヤ人音楽家たち(アマチュアもいたようだ)と演奏をした、と。

 

それは本来ならば決して許される行為ではなかったのだが、精神を保つためには将校たちにも必要な出来事であって、彼らも木陰からこっそり覗いて聴いていたらしい……。(この時代の政権と芸術の戦いは、本当に心にグサグサくるし、ウィーンの街でも毎晩非公式に人種関係ないコンサートが開かれ人々はそこに半狂乱的に集ったらしい。だって友人や家族がゲシュタポに連れていかれる世界だ、誰がまともでいられる?コンサートはほとんどボランティアだったらしいけど、弾くほうも聴くほうもそんなこと関係なかったらしい。私はこの時代のことを思うとこのエピソードが全てセットで思い起こされるからかいつまんでお話しすることはできないし、これがあるから例のアフガニスタンの女性音楽家たちが虐殺されそうな今は胸が張り裂けそうな思いになる……ちなみに彼女たちの半数ほどが出国できたそうです。)

 

だから、自分にとってはオーケストラをやるというのは、このシモン・ゴールドベルクのようにスコアをまず頭に入れて、というところがスタートなんだな、と思っていた。

 

で、私は彼のようには素晴らしくないから自分のパート以外は完璧な暗譜はできないし「頭に入れている」というような表現でしかないのだが、それでも頭に入れてはいるんだ。それは、彼の人生から学んだことだから。

 

そして、今思っていることは、

今までいろんな音楽を経験してきたけれども、

しばらくは自分の仕事を細く集中させていきたい、ということ。

 

先日ヴィヴァルディのソロを弾きながらつくづく思ったのは、ソロというのはオケと違い自分の音にすごく細くそこだけに徹底して向かっていないとすぐ崩れそうになる、この細い集中力は、蜘蛛の糸のようなふわふわしたものじゃなくて、どちらかというと強靭なピアノ線。そのくらい細い精神を保つのでなければ、これは弾けないのだ。

で、私はこの細い精神でオケのコンサートマスターをやりたい。そうしたら、くだんの彼ほどまでではなくても少しはもうちょっとこのオケのために何かできるのかもしれないから。

 

「一般の方でも指揮者になれるオーケストラ」をやるって、そのくらい大変なことですよ。一人の人間の生き方を変えさせるくらいね。

写真は、その際のリハ。頼れるヴィオラの米納(よのうさん、という素敵で呼びやすいお名前なの)ちゃんが選んでくれた一枚。加工前。

 

そんな、今日でした。

『渦』 2019.1203

ずっと風邪を引いている。

季節の変わり目やら気温差やらで、なかなか治りきらない。ちょっと良くなったと思うと仕事に出かけたりしているから、余計そうなのだろう。

 

熱も下がってきた今日は、久しぶりに自分がただ弾きたい曲を練習してみた。

バッハの無伴奏ソナタ3番のフーガとイザイの3番「バラード」。あと、ゆっくりとピアノをさらった。こちらもまずバッハで、それからベートーヴェンのピアノソナタ。

 

おかげさまで、身体と楽器の相性はとても良くなっていて、どんどんと楽に音楽が身体の中に入ってきている。弾いていてとても幸せになってくる。この気持ちよさは、弾く人でないと感じられないんだろうな、少しでも聴く人に伝わるといい、互いに心地よくなっていくから。

 

そんなふうにして弾いていると、

今まで以上に音の中に入っていくものだから、

 

ベートーヴェンの精神、イザイのユダヤの大地の和音。

それらの渦の中にすっぽりと入ってしまいそうで、

 

とてつもないものに足を踏み入れたような怖さを感じて、現実に帰ってきた。

 

イザイの和音には大地のリズムを感じると思っていたけれど、もしかしたらそれは、ユダヤの人が持たない大地のものだったのか。ベートーヴェンの8分音符の羅列はなぜあのように執拗で狂気すら感じるのだろうか。以前はそんなふうに思わなかったのに、今はこの人の音楽に触れて自分は大丈夫なのかと心配になってしまう。

 

こう思うのが、風邪のせいだといいな。

 

音楽というのは、ときに民族や地球の歴史そのものを感じさせて、それは素晴らしくもあるが、当然のことながら悲しみもあるわけで、

今日は、その悲しいものに入ってしまったようです。

 

こうなると、眠れなくなっちゃうんだよな……。無事、安眠できて風邪が早く良くなりますように。

そんな、今日でした。

 

 

『激』 2019.1107

11月24日『美会夜会』に向けて練習している。

今回は、メインにベートーヴェンのクロイツェル・ソナタの第1楽章をいれている。

これが、滅法凄い作品だ。

 

凄い、というより物凄い作品。

 

ピアノパートを弾きながらヴァイオリンパートを声に出して歌うというのが、この手のアンサンブル曲をやるときの私の練習方法の一つであるが、ある部分などは、ベートーヴェンの人となりをどうしても思い出して仕方がない。

それは、人格破綻していると言われるほどの激しい激情。

昔読んだ「嵐が丘」のヒースクリフは、恐ろしい男だと思うが、あの激情のようなものを感じる。

 

現実に、ヒースクリフのような人間と関わるようなことになったら、それはとても大変なことだと思うし、ベートーヴェンの人格についてはいいところもあるがそれ以上に悪いところのほうが多かったのではないか、と私は思うから当時の彼の周囲の人物たちは気の毒だと思う。

 

ただでも、私たちはベートーヴェンの作品を愛し、未だにそこへの憧れやそこから得られるものが大変多い。

 

それは、この譜面からも見てとれる激情的な人格だからこその音楽なのかもしれない。昔の文豪だって、ろくな人間じゃない者もいたしなぁ、と真面目に考えてしまう。

芸術とは。

 

そんな、今日でした。

2019年の集大成!11月24日「かっこいい曲しかやらない」ヴァイオリン・ピアノデュオ『美会夜会』 原宿カーサ・モーツァルトにて。

『墨』 2019.1002

今日は、人と弦楽四重奏について話していたら、無性に弦楽四重奏の中に入りたくなってしまった。

 

中に入る、とは私の感覚そのままで、一般的な表現でないので申し訳ないが、

 

弦楽四重奏や、オーケストラで演奏していると、

本当に音の中に入っているかのような、響きの渦の中に自分は浸っていて、和音の中の一つとして存在できているかのような、そんな無上の幸せを感じられるんだよなぁ。。。

 

ソロで弾いているときとはまた違う幸福感。

 

で、弦楽四重奏って、わりと地味な分野で、絵画に例えるならば墨絵のような世界。

でもって、私はまたこの墨絵が大好きだときたもんだ。

 

墨一色って、格好いいじゃあないですか!

 

その潔さ、奥深さ。

 

たまに、植物の絵を描くことなんかもするのだけれど、これも鉛筆一本だけでやることが、実は一番好きなんです。濃淡がね、楽しいよね。

 

とまぁ、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の話しをしているとここまで頭の中で膨れあがってしまって今に至る。

もし、聴いてみたいというお方がおられたら、ベートーヴェンのラズモフスキー第1番作品59をお聴きになってみてください。その他にも、山ほどあるけどね。

 

そんな、今日でした。写真は仕事の帰り。

2019年の集大成!11月24日「かっこいい曲しかやらない」ヴァイオリン・ピアノデュオ『美会夜会』 原宿カーサ・モーツァルトにて。

 

オールパガニーニシリーズ 10月22日『パガニーニ・ミーティングス vol.3』

 

『続』 2019.0916 

今日は、津原泰水先生の小説『ヒッキーヒッキーシェイク』を読んだ。

「この子は、二宮金次郎なのよ。」

と呼ばれた大昔は、薪の代わりにランドセル日々是読書というような生活だったのだが、

今の私は、ろくに読書する時間が持てない。

 

”ヴァイオリン一本”と称して、なんでもかんでも無伴奏で弾いちゃうし作曲もあとピアノもさらうし歌も歌う、自分でお話しも書きたい健康のために山歩きおうちバレエも嗜む日々を送っていると、夜になる前にはクッタクタ、なんなんだこの量は!!

 

加えて、最近は己のゲージツカぶりがおかしいのか、

夜は眠れない。(こんなにクタクタなのに!!)

 

だから、神経の昂りを収めるべく普段はなるべく興奮しそうなことは避けている。練習だけでもそうなっちゃうから。

 

なのに、なのに

津原作品は、そんなこと許しちゃあくれない。

 

濃厚な文章というイメージだったが、講座のときのお話しのリズムと同じテンポ感。マーラーのような幾重にも織り成す物語とモティーフにピリッと効いた痛快さはリストみたい、でもシンプルなところはまるでベートーヴェンだ!

と、思ってたらあれ。

最後の最後に、来たよ。

 

家庭的なドヴォルザークの世界。正に『新世界より』の終わり方そのもの!この物語は続いていくといわんばりの伸び行く管楽器、さっきまでの世界と正反対だ、どこに連れていく気なんだ、この人は!!

 

あぁ。。。こんなの知っちゃったらもう戻れない。戻れないんだよ。

もっと読むしかないじゃないか!!

 

写真は、しばし呆然としたのちに練習したグラナドスのヴァイオリンソナタ。この曲には”火のように”という箇所があるが、激昂したベートーヴェンのクロイツェルソナタ1楽章にはその言葉は出てこない。でも今日の読書のあとではなんか納得してしまった。

そんな、今日でした。

2019年の集大成!11月24日「かっこいい曲しかやらない」ヴァイオリン・ピアノデュオ『美会夜会』 原宿カーサ・モーツァルトにて。

 

オールパガニーニシリーズ 10月22日『パガニーニ・ミーティングス vol.3』

 

『国』 2019.0915

11月24日のデュオコンサート『美会夜会』の曲目を練習している。

今回は、様々な国や地域の曲たちでプログラムを考えた。

 

クライスラーはウィーンで、ベートーヴェンはドイツ。ヴィターリはイタリア。

グラナドスはスペインだし、ウィニアフスキはポーランド。

 

こうすると、一番の違いを感じる。それを表すのが最も難しい、と。

 

それは、国の違い。

 

言葉が違う。韻が違い、ステップも。それから温度も湿度も何もかもが違う。

譜面のどこかからか、色濃く伝わってくるそれを、

 

表す。

 

これは、本当に、

 

全身表現だ。。。すごい運動量を感じる。

そのぶん、疲労も激しいのだが、逆に面白さも同じだけある。だから、音楽は面白いってものだな。

 

そんな、今日でした。

写真は、山で見かけたかかし群。

2019年の集大成!11月24日「かっこいい曲しかやらない」ヴァイオリン・ピアノデュオ『美会夜会』 原宿カーサ・モーツァルトにて。

 

オールパガニーニシリーズ 10月22日『パガニーニ・ミーティングス vol.3』

『色』 2019.0914

時々発言していることなのだが、

練習っていうやつは、基礎の基礎みたいなところを時間を忘れて丁寧にやるのが、

一番楽しいんだよねぇ。

 

それは例えば、

 

絵も描かずに絵の具で遊ぶとか、

私の趣味で言えば、ただ単に辞書を読み耽るだとか、

 

一見、目的がないように見える。ただの遊び。

 

もちろん、曲をさらうのは楽しい。楽しいに決まっているんだが、

 

ある程度やると、基礎の世界に戻りたくなるんだよなぁ。

 

基礎ってのはさ、何も描かれていない真っ白なキャンバスに、

ぽーん、と

色がのった。

 

真っ白な空間に響き渡る色たち。

オレンジや青、茶色にピンク。。。

 

キャンバスがより白く、背景らしくなればなるほど、

色たちは、より綺麗に映る。

 

そうすると、色をのせる筆遣いもより洗練されてくる、っていうものだ。

 

そんなイメージを持っているのだから、

ベートーヴェンの物凄い油絵や、グラナドスのあまりに淡い印象派風の流麗な世界、クライスラーはそうだな、カリカチュアのような気がしないでもない。ヴィターリはもちろんルネサンス絵画のようだ、

という色に囲まれているうちに、

ただのキャンバスが、恋しくなってきてしまう。

 

もっと、いい色味を出せますように。

 

そんな、今日でした。

写真は、修学旅行中の姪っ子が送ってきたもの。

 

 

2019年の集大成!11月24日「かっこいい曲しかやらない」ヴァイオリン・ピアノデュオ『美会夜会』 原宿カーサ・モーツァルトにて。

 

オールパガニーニシリーズ 10月22日『パガニーニ・ミーティングス vol.3』

『許』 2019.0913

気候の変化に、すっかりやられてしまい

また熱を出した。

 

こうなると、芸術家というのも因果な商売だなぁ、と思えてきてしまう。

少しの変化、風の音やざわめき、木の葉のゆったりとした空を切る舞。

例えば、アスファルトから聴こえる人々の暮らしの音からもその日を感じたりするのに、

 

そんな感受性といったようなものは、ある時にはこうして敏感すぎる肉体となって現れたりするのだから。

 

夜になって、少し調子が上向いてきたから11月24日『美会夜会』で演奏するベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」を取り出してみた。

恐ろしい。

恐ろしい曲だ。

室内楽が大好きで、本当はそれをもっとやっていきたい。

だが、そんな希望を打ち砕くかのような、恐ろしい8分音符の羅列。いかにここに芯を入れられるか、あぁどう考えても彼の人は高すぎるエベレスト!!

 

今年から始めた”ヴァイオリン一本・無伴奏活動”により、かなり演奏体力はついたはずなのに、ベートーヴェン、この作曲家はそんな程度じゃあ許してくれやしない。

そう、許されないのだ!絶対に、許さないぞ!!。。。という強固な意思がビンビンと伝わってくるこの譜面。

 

今から2か月。ひたすら彼に捧げきります。

そんな、今日でした。

2019年の集大成!11月24日「かっこいい曲しかやらない」ヴァイオリン・ピアノデュオ『美会夜会』 原宿カーサ・モーツァルトにて。

 

オールパガニーニシリーズ 10月22日『パガニーニ・ミーティングス vol.3』