超絶技巧

次回パガニーニは2020.0905 Paganini Meetings6

本日、オールパガニーニコンサート『Paganini Meetings5』無事開催でき、お越し下さった皆様、ありがとうございました。何しろ、この歴史的なパンデミックの中での開催である。やるほうも、来るほうも尋常ではない。それぞれ多くのものを抱えてきていると思う。私は、ひたすらに彼の美しい音楽と、奇妙なリズムに翻弄されました。

 

加えて今日は、私アイティの2ndアルバム『我儘なソリスタⅡ』先行発売を行った。今日の共演者、ギタリスト富川勝智氏にも参加してもらったアルバムだ。終演後早速聴いてくださったお客様からは「涙が出そうです。」「最後の曲へ行く流れがとても好きです」といったご感想を頂いた。何しろ、売れないヴァイオリニスト。その一言だけでもたいそう嬉しい。

 

そう、私は売れないヴァイオリニスト。

これをお読みの皆様は十分ご承知のことだろうが、昨年から今の活動を始めて以来、今のところ一向に売れる気配がない。そこにきて、このパンデミックだ。どうしろというのだ。弾く以外にアピールする道がないというのに。

 

でも、こんな私でも支えてくれる人たちがいて、今日のギタリスト富川氏もそうだ。私は富川せんせ、と呼んだりしているが、それは彼が音大の先生だからであって、私は大学の先生という人に親愛を感じているのだ。私の亡き父が大学で数学を教えていたからだ。

 

今日の本番の準備、アルバムのレコーディング、それ以外でもとてもいい時間を過ごせて、改めて「あぁ、私は生きた音楽の中にいないとダメ」と思った。細かいことは気にしない、私が化粧しようがしまいが気にしない、音を外そうがそうでなかろうが「今日はそういう調子なんだね」と言ってくれる。だいたい、今までだって、こういう会場でやりたいとか、この共演者たちとやりたいとか、そういったことをぜーんぶ「うんいいよ、わかった」って言ってくれる。しかも実力派。そんな人滅多にいない。

 

だから、私は今度9月5日にこの6回目をやります。

 

それ以外に私がいる道はないから。

 

ま、どーせ、この先2年ほどは何もできやしないんだ。と、思うのでせっかくだからパガニーニについて詳しくなりたいし、いろんな作曲家を調べるついでの断片でしか出てこない彼のことについてもっと知っていきたい。もちろん、弾くうえで。

これも、富川せんせは「あー。いいよー。」って答えてくれるんだこの安心感!

 

さて、今日のプログラムです。

 

ソナタ・コンチェルタータ

オペラ曲集6より、ソナタ1、4、6

「24のカプリス」より13番、24番

ギターソロ

バルカバ変奏曲よりムタ1番

チェントーネソナタ第6番

 

次回9月5日も番号は違えど同じようなプログラムでお届けし、弾く人も同じですが、まるで違う音楽をお届け致します。

なぜなら、生きているからなんだ、売れようが売れまいが。どれだけ弾いたって悪魔な音楽、そして間抜けな愛らしい旋律。ここへの気持ちは変わるまい、永遠と。

 

写真は、会場エムズカンティーナの控室。読みたかった。

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『曲』 2020.0625

曲を書くときに、無意識のうちに昔から親しんできたものを書こうとしている。

昔から親しんできたものというと、ベートーヴェンやヴィヴァルディ、チャイコフスキーといった大家で、もちろんそんなものを私が書けるはずがないので、ここで言うのは、彼らの音楽の形、構造のことだ。

クラシック音楽の用語で「ソナタ形式」というのがあって、主にその形をやろうとする。ヴィヴァルディの時代にはソナタ形式はないんだが、面白い構造であることには変わりない。(ソナタ形式については、以前こんな解説を書いています。『パガニーニの呪文』

 

アルバム『我儘なソリスタ』を発売する前に思いついたメロディがある。なかなかいい旋律なのだ。ただ、どうも私はこれを活かせないでいる。そんなこんなでアルバムは出来上がり、私は今他の曲も書いている。歌の曲も2つできた。

ふと、気が付いたことは、歌の曲のようなシンプルな構造のものをあまり考えられないのだ。2つの歌の曲はするするできてしまって、作った気がしなかった。リズムが歌っぽいからそうしたという理由だ。

歌の曲というのは、歌詞があるから、曲の構造はごく単純でわかりやすいものが多い。クラシックもポップスも関係ない。ベートーヴェンも歌の曲は書いてますけど、私が親しんできたのは、オーケストラ作品にピアノソロだから、彼がここぞとばかりにあらゆる形式や構造の組み立てを凄まじく練り上げた作品、まるでそうでないと音楽でないような気がしていたんだ。

 

でも、歌の曲もいいよ。モーツァルトのオペラアリアなんて、すっごくシンプルな形ですごく楽しいメロディ。そんなのがわんさかいる。

 

ここで、頭を切り替えて、歌の曲のような形もトライしてみようかな、そう思った次第であります。

そんな、今日でした。

 

写真は、よくわからないメモ。

 

 

『凄』 2020.0414

昨日は風邪でダウン。おかげさまで、だいぶ回復したアイティでございます。

とは言っても、まだ集中して何かをできるほどにはない。こうして、駄文をまき散らかす他ないわけだ。

 

あ、あの。最近ちょっと嬉しいのは、Twitterとかインスタの反応が帰ってくること。見ず知らずの人同士なんだけど、大海に向かって投げかけているものだから、何か違う嬉しさがあるなぁ。私はそもそも、自分の活動を知ってもらうためとしてSNSを使っているから、ありがたい限りです。

 

そう、SNSだ。

 

ここ最近、度肝を抜かれたのは、

例の総理のやつですね。

 

マスク二枚も相当きたけどな~。

 

今となっては、地上波においても放送されたという、例の動画。あれは凄い。

 

なんたって、こっちはセンスでやってるんですよ。やっぱ。センスいいといいじゃん、ステキだねとか、カッコイイとか、なんといってもオシャレとかね!

それでしのぎを削ってるというのに。

 

あれに全てを持っていかれるこの感覚。

いやー、凄かったな~。

 

というわけで、私は明日からまた己のセンスを磨きに磨く所存だぜ。今夜は無理しないで早めに寝るけどな!皆さまもくれぐれもご自愛下さいまし!

 

写真は、磨くことが非常に困難な自撮りである。申し訳ない。

そんな、今日でした。

『願』 20200325

だいぶヤバイことになってきましたね。新型コロナウィルス。

さすがの私も、このことについて口にしないわけにもいかなくなってきた。

 

いや、こういう事態になって思い出すのは、第二次世界大戦中のウィーンなんですよ。

あのとき、目の前で家族や親友がゲシュタポに連れられていく、自分もいつ連れられていくかわからない、そんな状況下。

本当は禁止になっていた音楽会が毎晩繰り広げてられていたというんだよなぁ……。

 

史実につき、記憶が不確かなもので申し訳ないのですが、

 

ウィーンフィルや有志による音楽会。そこにものすごい人数が集いそれでなんとか精神を保っていた。ナチスによって上演禁止だったユダヤ人作曲家の作品なんかも演奏されていたんじゃなかったけな。だって、あの「パパパパーン」な結婚行進曲で有名なメンデルスゾーンも、映画『ヴェニスに死す』で音楽が使われたマーラーもユダヤ人ですよ。もっと言えば、歴史に残るヴァイオリニストにもユダヤ人は多い。例えば「愛の喜び」のクライスラーとかね。避けて通ることなんてできるもんか。芸術の前では人種は関係ないと言いたい。

それこそ、当時のウィーンフィルのコンサートマスター、シモン・ゴールドベルグだってユダヤ人だった。彼は連行されてしまって、戦後アメリカでリハビリ後また復帰したけれど。

 

ゴールドベルグが連行されたジャワ島の収容所でも、音楽は必要とされていて

秘密なんだけど実際は公然と音楽会は催されたんだよな……。

 

何が言いたいかというと、

 

音楽や芸術文化がないと人はだめになってしまう。

 

あの、気がおかしくなってしまいそうだった戦時中のウィーンでも音楽があったから人は明日を生きることができたし、それをわかっていたからナチスも目をつぶっていた。

 

そうして、そこまでしてやり続けていないと、

 

音楽って、できなくなってしまうものなんです。芸術家にとって、表現するということは、空気や水と同じようなものだから。表現の場がないと枯渇してしまう。我々が、この状況においても活動をし続けようとするのはそういった理由からなのです。

 

ここで、一つのツィートをご紹介させて頂くから、よろしければその文面にある通り、各ライブハウスのyoutubeのチャンネル登録をしてほしい。これをお読みの方々は、クラシック音楽や文学好きの方が多いのだと思うのですが、一人でも多くの方に登録して頂き、実際に各youtubeをご覧頂き、一定の条件をクリアできると各チャンネルは

・広告収入を得ることができる

・ライブ配信ができるようになる

よって、ライブハウスが現況でも収益を得られ、且つアーティストたちのライブ配信が可能になり、私のような末端音楽家でも活動の場を確保し続けられるようになる。

ということなのです。

 

やる場所さえあれば、私はいつだってどこでだって弾くぜ。山の上でだってな!

そんな、今日でした。

 

 

『求』 20200320

需要と供給という言葉がある。それぞれ別個の言葉だが、この場合需要と供給というセットで成り立つ。なぜなら、これは対義語のようなものだからだ。

と、ここで考えてみると

 

そもそも私の活動には需要がない。チーン。

 

と終わってしまうので、せっせと需要がないところへ供給を続けているのであります。供給していれば、いずれ必要とされるのではないか、という極めて甘い見通しによるこの供給計画。

ただまぁ、あまり人様がなさっておられないことを次々繰り広げているという自負はある。

ヴァイオリン一本もそうだが、クラシックギターとデュオを定期的に続けていることは私にはとても大きなことだし、演奏と同時に作曲するクラシック演奏家はそういない。小説書きながらサントラ作る人もそういない。加えて歌って踊るとなると、なんじゃこりゃ、という気になってくるが踊りは舞台パフォーマンスの基本でしょ。踊れる音楽は楽しいよ。子どもの頃からそう思っていたんだから仕方がない。

 

今日も、求められてもいない曲を作り、練習をし、今から創作もするわけであります。

なんでやるのかって言われたら。

 

やんなかったら、人生生きてる気がしないからだろうなぁ。とことん生ききってしまいたい。それしかない。と、せっせと自撮りにも励む。

そんな、今日でした。

『軸』 20200319

最近、楽器を弾いたり作曲したり文章書いたり、と様々なことに挑戦しているのですが、

私の軸はクラシックのヴァイオリンにあるなぁ、と感じる。

 

物事を考えるとき。なにかできないこと、難しいことに当たったとき。

 

ヴァイオリンでやっていることを基準に考えている。

 

つまり、ヴァイオリンで弾く音階やら苦手な重音やらパガニーニの難しさ、ベートーヴェンの重厚で宇宙にまで広がる深い世界、モーツァルトの人間愛に素敵なセンス、バッハの神の言葉、そして私はそれらをまるで弾けやしていないこの野郎!

と試行錯誤しているところが、全ての物事に対する基準となっていて、

 

その基準によると、このピアノを弾くのに私はどのくらい時間がかかる、だとか。この歌を歌うにはどのくらいのレベルになるだとか。

そんなふうに考えている。

 

で、まぁ

ヴァイオリンだったら、ロックのすっごい渋いやつとかキレたヴォーカルとか、そういう表現も、自分の中のクラシックに置き換えると「うぉ~後期ロマン派な音だ」「超バルトークっぽい!」「この雰囲気完全にイザイ」(※全て個人の主観です)

みたいなことを無意識に思っているし、きっとそういうふうに弾きたいと思っているんだと思う。だから、あまり考えることもなくそれぞれ雰囲気に合わせて弾こうとしているというか。

 

で、ピアノとか歌とかバレエとか文章は、とてもここまで至らない。考えたくても考えられないんだな。

ほんとは、ギターも弾きたいんだが。

 

写真は、無意味にギターとツーショット。

そんな、今日でした。

 

『始』 20200312

新しくやることが増えた。

ご覧になって下さっている方もおられるが、数十秒のメロディを収めた《今日の4小節》たる動画。週に3本くらいアップする予定でいます。

それと、個人的に始めているのが、執筆活動を手書きで行うこと。

あと、これは明日から開始予定なのですが週3くらいで朝にランニング。

 

何しろ、この自粛のときにしかできないようなことを徹底的に行わなければ、もったいない。

 

最近気が付いたことに、どうやら私は手を実際に動かしたものでしか骨身にまで入ってこないようだ。何かというと、楽器は手を動かして弾くし、絵も手を動かして描く。私は鉛筆一本で描くのが好きだ。それに比べて、どうも己の執筆活動が自分自身にしっくりきていなかったのだ。

そこで、先日から鉛筆を走らせて紙に記すようになった。そうすると、それまでと違っていろいろなものが立体的に構図として浮かび上がってくる。これだ、構造が見えないと私はなにも作れやしないのだ。

こうなると、想像力も膨らんでくるし、いやぁ楽しい。楽しいんだ。

 

ちなみにランニングを始めるのは、今度6月19日に私とピアニスト松井理恵さんによるサロンコンサートを原宿カーサモーツァルトで開くのだが、その夜はバレリーナに踊ってもらう。で、私も一曲踊りを披露する予定だから、そのためへの身体作りというわけです。

このところ、皆さまもお困りの例の騒動によって私も予定に大幅な変更が生じるなどあり、なかなか日記の更新もできなかったのだが、実はこんな状態でおります。

あとは、多重録音したオリジナル曲をなんとか公開できたらな。新作も一つできたぜ。

 

というわけで、今後も私によってお楽しみ頂けるようコンテンツを複数同時進行で準備しておりますので、お越しになれる方はまず生のコンサートからぜひ足をお運びください。最近のライブハウスはどこも清潔で対策もばっちりしておられます。

そんな、今日でした。

 

『決』 20200227

いやもう、大変ですよ。

私がわざわざ申し上げることでもないけれど。既に皆さま大変な状況にいらっしゃることと存じます。早く安心したいですね。

 

私は私で予定していた3/12『幻楽夜話』は中止としたし、とても残念でおります。

 

で、決めたことがある。

 

まるまる一か月近く予定が空いたから、この期間に作って作って作る、ということ。

 

先週、公演の中止を決めてから、もろもろの対応を行い、ふと気が付いたらたくさんのものが手から生まれようとしていた。ピアノに向かうといくらでも出てきそうだった。初めての体験だった。

そっか、弾くものがたくさんあるときには出てこないんだな。

そう思った。

 

今の活動を始めてからおよそ一年、作曲や執筆もなんとか手掛けていたけれど、ヴァイオリン一本とか路上とかパガニーニとかやっていると心身ともにそっちで忙しくてなかなか創作までは向かえない。この数日、それが一気に解き放たれた感じがした。だから、これから表に出られない期間はすぐに創作に向かう、そういう切り替えができるようになる自分でいたい。

というわけで、創作作品は、仕上がり次第お目にかけたいなと思っておりますので、ぜひご期待くださいませ!その他にもいろいろと準備中だがね!4/18ソロコンサート『我儘なソリスタ』はぜひお越しください!

 

写真は、こんな大事になってしまうしばらく前の生中と私。

そんな、今日でした。

 

『馬』 20200213

馬と言えば、擦弦楽器の弓の毛は馬のしっぽで出来ている。

天然のを、漂白してあるんです。あまりにぼろぼろなのは取り除いて。これを弦にこすりつけて弾くんだから、弾いているうちに摩耗してくる。それをたまに交換するのを毛替えと言います。

あと、ラヴェルのツィガーヌという曲があるが(ツィゴイネルワイゼンと同じくジプシー調の超絶ヴァイオリン曲で実はツィゴイネルワイゼンを遥かにしのぐ難しさ)これの冒頭なんか、私のイメージは「馬みたいに弾く」だ。馬が鳴くときのあの勇ましさ、そして野生。そんな感じがする。

 

てなわけで

 

今朝ははるばる、横浜馬車道まで出かけて参りました。

これについては、のちのちおもろいものを発表する準備に邁進しておるので、今しばらくお待ち頂きたいのだが、

 

同行メンバーは、津原泰水。そしてピアノ藤井麻理。

 

先生と麻理ちゃんと3人で朝っぱらから楽しいコトやってきたぜ!!

 

コトが済んだあとは、3人で気持ちがいいお喋り。先生の話題の豊富なこと!普通じゃないね。さすが次々と引き込まれる作品を出されるはずだ。それにしても、先生の語り口は愉しい。柔らかい声に、優しい眼差し。まるでずっと浸かっていたい変ロ長調のフラット2つの幸せ。

 

写真は、コト済んだあとの間抜けな私の背中と佇む先生。撮影は麻理ちゃんさ。

そんな、今日でした。

 

私以外は2人とも先生。文学と音楽が出会うコンサート『幻楽夜話』~超絶ヴァイオリンが再現する名作文学に流れる調べ~

『譜』 2020.0128

こんばんは。アイティです。

 

今日は、母校の大学図書館で3/12『幻楽夜話』で使う楽譜をいろいろと調べてきた。今回は、ヴァイオリンのために書かれた曲ではない作品も演奏するため、下調べが必要なのだ。

アレンジ、というやつをするのですが、

アレンジするにも材料が必要。

それも、良質な材料がよろしい。だってさ、センスいいものは古くたってセンスいいのよ。芸術ってそんなものよ。

 

で、資料として使うために結果として大量にコピーをし、実際に音を出すのはうちに帰ってから。

ほら、早速見つけたよ。「これ、音おかしいんじゃ?」スコアと照らし合わせる。「う~、この音採用したのかぁ。(無言)」

オーケストラの曲をヴァイオリンとピアノで弾いたりするのですからね、それ相当の工夫というものが必要になるわけで、で私みたいな人はこの工夫が超絶楽しいったらありゃしない。

 

何せ、人生かけて遊んでますからね!

 

写真は、サラサーテのツィゴイネルワイゼン。自演盤は残された楽譜と違う音を弾いている。

そんな、今日でした。