練習

『盛』 2019.0624

独り盛り上がりが得意である。

独りで盛り上がって練習しているのだ。

 

そもそも、山に行くのも運動をするのも音楽や創作のためであって、それらについてもそれぞれ盛り上がりながら取り組んでいるため、私は独りで盛り上がることが非常に得意な女といっても過言ではないと思う。

 

もしかしたら、私は寂しい女なのか??とさっき自問自答したのだけれども、そんな疑問はすぐにどこかに消え去っていった。

なぜならば、

ケーキが焼けたから。

 

レーズンの風味がなかなか良かった。膨らみが足りないけれど、生地のきめ細やかさはしっとりとした味わいをより際立たせ、口に入れると胸にまで広がる充足感。あぁ。。。これは、こいつはまたやんなきゃだめだ。

 

夏の3曲も引き続き募集しております。明日、頂いたメッセージをまたいくつかご紹介しよ。

そんな、今日でした。

ソロコンサートシリーズ「青の時代」ヴァイオリン超絶技巧無伴奏、オリジナル曲、即興演奏ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

コンサート詳細追加情報 お客様感謝祭「青の時代 vol.3

 

『返』 2019.0604

今日も練習。練習の合間に散歩をし、練習し、家で体操し、練習する。

無限ループのようだが、体力の限界があるので、案外ループするのも難しい。

 

この数日は、ピアノもほとんどさらっていない。ひたすらパガニーニを弾いている。

合間の体操は、最近逆立ちもどきを取り入れているのですが、加えて気持ちがいい運動は、でんぐり返しである。

でんぐり返し。

なんなんでしょうね、この名称は。

 

前転と呼べば、もう少し格好が付きそうであるが、要するにやっていることはでんぐり返しなのです。

 

これは恐らく人により体質のタイプがあると思うのですが、

私の場合は、子供のころに得意だった動きを取り入れると身体の力が抜けやすいような気がしている。

で、実際やってみると気持ちがいいものだから、調子に乗って何回もやっている。

 

いい年して、公開でこんな話をして、まさに恥知らずが進行しているようですが、そこまでして練習しているのだ、とどうか暖かく見守っていただければ幸いです。

 

で、写真は昨日載せられなかった夕飯。いさきを大根と煮て、ぶり大根のようにしてみました。今日もこの残りを食べよ。

そんな、今日でした。

舞台で、でんぐり返しはしません

ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

 

『小』 2019.0530

写真だとそう見えないようだが、私は背が低い。

 

正直に告白致しますと、152cmしかないです。

 

小さいよね。

 

演奏しているときも割合大きく見えているようですが、ハイヒールは苦手だから本番の靴は踵があまり高くないし、どちらかというと偉そうに尊大な態度で弾いていることが大きく見えるその理由ではないかと思う。

 

で、背が低いということのデメリットを幼いときからこれ以上ないほど享受して生きてきているので、「私は小さいから、〇〇ができない」と言えるような物事がそれなりにある。

例えば、ちょっと混んでる電車内でのつり革。届かないよね。(これは私に限った話ではないかもしれない。)

一番、小人だなと感じたのは夕方のJR新橋駅のホームで周囲がサラリーマンの男性方ばかりだったとき。右も左も上も下も見えなかった。人が多い時間帯だとそういうこともある。

 

で、この小ささは実生活においてまた不具合を発揮してくれる。

例えば、押入れや作り付けの棚の上部や奥は全く役に立たない。椅子などに乗ったとしても、これまた短い腕では届かない境界線の向こうという世界があるのだ。(脚立は苦手なので使いません。)

 

なんですが、今日は夏にむけて若干部屋を模様替え。練習部屋の床のじゅうたんを剝ぎ取り、押入れの天袋になんとか突っ込んだ。この天袋は突っ込むことと引っ張り出すことしかできないから、中はぐちゃぐちゃというより他がない。

この作業を、他の部屋においてもやってかなきゃ。

 

物事は、大きいほうが便利だよ。そう書こうとして「大は小を兼ねる」ということわざを思い出した。なんだ、私なんかがぐだぐだ書かなくたって、私たちには素晴らしい文句があったじゃないか。バカだなぁ。

 

そんな、今日でした。

写真は、剥ぎ取った床で大活躍してくれたルンバです。

夏仕様の部屋で音楽やってます。ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

『逆』 2019.0529

ついさっき思いついて試してみたことなのですが、

何かというと、

 

練習の合間に逆立ちをする。

 

これがとても良さそうだった。

 

前にもいつかの日記で書いたとおり、楽器を弾くことと心身のバランスを整えることはつながっていると思っていて、日々里山散策に出かけたり朝散歩を行っているのも、全てそのためなのです。外に出かけられないときは、部屋の観葉植物を愛でていたり、とかね。

で、昨今の私は何しろパガニーニという恐ろしい人の作品群に向かっておるので、そういったことをより考えております。

 

小休止を入れながら練習するのだが、そこでストレッチをしたり軽い体操をしたり。で、その取り組みに簡単な逆立ち(といっても腕で支える筋力はないから頭で支える)を取り入れてみたら、いいですね。脳の働きも良くなるかのような感じがする。

脳の働きというのも不思議だな。

最近気が付いたけれど、演奏には動体視力の良さも必要ではないか、と思うし、人の認知の9割以上は視覚情報によるもので聴覚情報からは少ないんだよな。音楽家はきっとそれが多いんだろうけど、人本来の機能としては視覚からの認知を脳はしやすいわけであるから、それを工夫したほうが楽に演奏できるんじゃないか、という気がする。少なくとも練習するときはそうだ。楽譜の見方によって演奏はずいぶん変わってくる。そしてその楽譜を見ることは動体視力も実は大きく関係しているのではないかなと思う。音楽の流れにより耐えず動く手の動きと併せて譜面を見る、というのはその辺の能力も関係していそうだ。

 

とか、そんなことを思いながら過ごしているので、毎日練習部屋と山との往復なんだがこれはこれでとても興味深く、楽しい。

 

写真は、山にある水車小屋。今日の山は実にいい空気と風だった。

そんな、今日でした。

ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

『厭』 2019.0528

おかげさまで昨日の神田 SHOJIMARU での演奏は、自分としても納得がいくものであった。そのせいか、今日は気分が良かった。天気は雨模様の関東地方だったが、私の気分はいくぶん晴れ晴れしかったのである。

 

とは言っても、やることに追われて気が付いたらもう夜だ。今日何をしたかって、朝は昨夜の就寝が遅かったこともありなかなか起きられず、遅い朝食を軽く食べて(ブランチってやつでしょうか)山に行こうとしたら予想より早い雨天となり引き返し、布団を取り込み、買い物に出直して、夕刻は楽器屋さんに出向いて、夜は練習とジムに行った。

そうしたら、もうこんな時間なのだ。

 

もっと練習したかったなぁ。明日は朝からいっぱいやりたい。何しろやりたいことだらけなのだ。弾けば弾くほど、欲が出てくる。何しろ、私は強欲な女なのだ。

この日記だって、なにもネタもないのに、毎日こうして発表し続けている。どういうことだ。

 

そういえば、最近移動中には書き物をすることにしてみた。私の「雨女」のお話しをいろいろ考えているのです。このお話しも早く作っていきたい。面白いもので、作るというのは、作ることを日々の癖のように自分に課しておくと何かしら出てくるものなのですね。司馬遼太郎が、毎日書いているとアイディアが湧くけれど、書くことをやめると出てこない。10日やめるともうだめだ。というようなことを言っていたらしいですが、なんとなくわかるような気がしています。

作曲もそうだと、思うんだよな。

だから、日々の練習に加えて、創作行為も同じように楽しみたい。

 

なんだけど、自分でお話しを書いていると、己の文章力の浅さに辟易するのでした。なんじゃこりゃ。やんなっちゃうよ。

写真は、お昼ご飯のパスタ。炭酸水と。

 

そんな、今日でした。

練習の成果を見せてやるぜ! ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

『黒』 2019.0524

こんばんは。

本日も眠くて仕方がない田中幾子の枕日記をお届けいたします。

 

8時半  起床。朝食後、練習をする。

12時  山に行く。

13時  帰宅、昼食。

 

今日の前半を書きだすと、こんなものである。

 

このあと、ジムでサウナに入るなりピアノの練習をするなりしているのですが、

結論としては、もう眠い。そして、既に寝間着に着換えている。正に枕日記と称して差し支えないであろう条件が揃っていると思われる。

 

で、案の定本日も音階セヴィシックの麗しい時間を経てパガニーニをさらっておりました。

 

不思議なもので、やっているうちに身体にすんなり入ってきている。これは、やっているうちに自分の理想形が見える感じ。現在のところの理想形なのだが、これが見えるとだんだんとその作品、その作曲家が好きになり興味が湧いてくるし、もっと弾きたくなってくる。

 

実は、中高生の3年間ほどヴァイオリンをやめていたという黒歴史をもつ私なので、再開してから10年ほどは恐ろしく下手くそだったし、それこそパガニーニのような超絶技巧は自分の生涯で触ることはない、と思っていたので改めて不思議だなぁと思う。

これが、理想形のイメージを持てないものは絶対に弾けるようにならないのだ。と私は自分自身について思う。

 

で、身体も虚弱だからか、奏法も独自路線を突き進んでいるところがあり、最たるものは左手の押さえる力をかけない、というところだな。指の力が弱いからそうしないと弾けないのだ。でも、ヴァイオリン奏法の基本は左手は指板を強く叩く(昔のソリストなんか叩く音が聞こえるくらいだったという)というところから始まるから、今の弾き方にしていくのも相当悩みもあったし、それこそ左手でピチカートをやるパガニーニは絶対無理だと思っていたのだ。

救いだったのは、私の先生も「押さえなくても音が鳴るから、いいのよ。」とおっしゃっていたこと。それと、旧ソ連の大ヴァイオリニスト、ミルシテインがそういった奏法を称賛していたという記事を弦楽雑誌で読んだこと。

それで、よりその路線で自分の奏法を開拓している最中でございます。

 

この路線を進むにつれて、

体力との兼ね合いや、本番の緊張感でできること、集中力。等々全体のバランスをよく考えるようにもなってきた。

なので、練習の合間を縫って体力増強のために里山散策にも出かけているわけです。

 

そうこうしているうちに、かのパガニーニにおいても理想形のイメージを抱けるほどになってきたことが、自分としても嬉しい驚きなのです。

 

ですが、今日は暑かったね。

 

だから、お昼ご飯は世間に甘えて楽しんじゃった。

冷凍のアクアパッツァ向け魚介類(半額であった)でパエリア。ビールだけは我慢してノンアルである。

加えて、インスタ映えするような写真まで撮ってしまった。(インスタに載せる予定はない。)

 

そんな、今日でした。おやすみなさい。

 新境地を開拓しております ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

『薔』 2019.0514

こんばんは。

本日は、実によく音楽をやった日でありました。

 

朝は朝食後に軽い散歩をし、音階を弾き、ピアノのハノンとバッハを練習し、午後は Yuuki くんのリハーサル。20日の曲が全部できて、ピアノで弾くものも決まった。

夕方は買い物に出かけ、夜はパガニーニの練習。

 

弾くときの話ばかりで申し訳ないのだが、

 

普段楽譜を見て練習するとき、いかに楽譜の音の羅列をみて無意識のうちに考えて弾いているのか。そのことが自覚できてきた。

その証拠に、私はコードだけの譜面だとその先の音楽的なイメージが湧きにくい。だから慣れるのに時間がかかる。

クラシックを初見で弾いても、ここまで不慣れな感じにはならないから疑問だったのだけど、少しその理由がわかった。

 

一緒にやってるベーシストが「これは楽譜じゃなくてメモだから。」と言っていたのが面白かった。

 

メモをみて弾く。

 

そういえば、生前の父はいつも胸ポケットにメモ紙とボールペンを入れてよく数式を書いていたなぁ。メモから広がる世界もあるんだな。

 

写真は、リハのときに撮ってもらったもの。母(こちらは生きている)の手縫いの洋服なんです。学生時代から未だに着ている。身体に合っているから着やすいの。

 

そんな、今日でした。

ギターは弾かないけどソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

 

『泣』 2019.0508

自覚はないのだが、相当活字中毒な人間であって、気が付いたらいつも活字を追っている。

個人的に好きなのは、ちょっとした箱に入っているお菓子についてる能書き。

昨今はこの能書きが、ただのパンフレットと化していることも多いのですが、私はぜひ文章を読みたい。創業の歴史なり製法へのこだわりなどが美しい言葉で書かれているのですよね。あぁ、お菓子への愛情っていいな、と思う幸福を感じられる。

 

ま、私の小学生時代は薪でなくランドセルを背負いながら本を読むという二宮金次郎ぶりであったので、やはり活字中毒者と言える育ちなのかもしれない。

 

で、そんな私が好きな書物のうちの一つに辞書がある。

 

例えば、私の持つ英和辞典の「spring」の項を見ると、動詞としての跳ぶ、おどる、はねる、といった意味のずっとあとに名詞として跳躍、飛躍、跳ね返り、などが続き、そのあとに泉、源泉、そして温泉、春、と来るわけであります。

こういうのを読んでいると、

春という季節と、春に見られる現象とが同じ言葉として用いられているかのようで、

心密かに「ほぉ~~~っ。。。。」と感心するし、

この楽しみに延々と浸っていたい。。。

という欲求に駆られるのです。

 

でも、そんな時間はない。私は練習しないといけないのだ。

なので、泣く泣く書を閉じ、練習部屋へと戻る毎日である。

 

そんな、今日でした。

 

楽しみを犠牲にしてがんばっているソロコンサートのお知らせ 20197月7日「青の時代 Vol.3」

『時』 2019.0507

私の日常をお伝えするという名目のこの漢字日記なのですが、

私の日常といえば、

 

夜は眠い。

 

昼は練習。

 

それしかない。

 

ヴァイオリニストというキラキラしていそうな職業でありながら、

美しく映える写真を撮れるような場所には滅多に出入りしないし、そういった飲食物も口にしない。

 

私の実態と言えば、今日も音階を練習し、ギターとのパガニーニをさらい、ピアノのハノン教本に感動し、バッハの舞曲を弾いて楽しかった。

そんなものである。

 

というわけで、本日も実に地味な一日を過ごしたのだが、ちょっとした試みを始めた。

それは、時間を決めて練習するということ。

 

何せ、練習する内容が多く、多岐にわたるものだから、

それぞれを納得するまでやっていると体力も気力も崩壊してしまうのだ、ということを最近認識した。

なので、制限時間を決めて全てその範囲で行う。

 

これはこれで、今までとは違う集中力が磨かれそうなので、初日としては満足した次第であり、その過程でどうしてもバッハの舞曲を弾きたくなってある意味遊んでいたのであります。

なんだかね、このパルティータ2番の舞曲たちは心と耳を洗うよね。。。

 

そして、今は普段はほとんどBGMをかけないのだが、珍しく流し聴きしているのはチャイコフスキーのオーケストラ作品。私は特に4番交響曲が好きだ。この人の音にある変な奇妙な濁りが大好きだ。それこそが人生だ、と言いたくなるのだ。チャイコを聴きたくなったのは、パガニーニのデュオをさらったからだろうな。幼い頃に楽しかった子供向けの作品エア・ヴァリエのような楽しい旋律がたくさん、その頃に楽しかったバレエで踊ったチャイコフスキー。

そんな、時の流れが私もある。

 

そんな、今日でした。

 

『初』 2019.0501

田中幾子のお時間でございます。

始まりました。今夜のバランスボール日記。

 

今日もやっていたことと言えば、練習である。ヴァイオリンを弾き、ピアノを弾き、歌を歌う。「雨女」を歌うこととピアノの間奏を弾くことと両立させることがなかなか難しい。

私はあまり声が出るほうではないので、歌声を聴かせるというより、歌詞を聴いてもらうつもりで今は練習をしている。

そうすると、普段の話し方に近い声の出し方になってくるのですが、

 

簡単なようで、楽器を鳴らしながら同時にそれを行うのがまだなかなか慣れない。

 

なんですが、ピアノで弾ききれないメロディを演奏しようと思うと、歌うしかないから、歌っています。

で、この「雨女」プロジェクトは牛歩の歩みながら進んできていまして、それも楽しみだ。

正に、自分にとっては初の試みとなるし、令和元年は私にとっては「雨女」の年と言えるようになるのではないかな、とちょっと自分に期待もしている。

ただ、物凄い大冒険なんだよなぁ。。。うまくいくかな。。

 

実は大きな不安も抱えつつ、冒険の世界へと飛び込むに違いない。だって小学校2年生のときのあの輝かしい夏休み。あのときから私は心の大冒険が好きで仕方ないのだから。

今日の写真は、練習中に掃除を代行してもらっていらルンバが、いつの間にかポツンと停止していた様子。切ないけれど、いつもありがとう。

 

そんな、今日でした。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2