練習

『去』 2019.0430

今日はまた練習に練習に練習。夜は、知り合いのお嬢さんのコンサートに出かけていました。

今日の練習は、それはそれは新鮮な発見があったなぁ。

 

それは、バッハが楽しくなってきた。

 

これって、私にとっては「音階楽しい!」とか「セヴィシック大好き!」のような鮮やかな感情で、こんなことってあるんだ、とまで思う。

だって、ピアノで言えば旧約聖書ですよ?(新約聖書のベートーヴェンが楽しくないとは言っていない。むしろガンガン盛り上がれる。)やはりずっと教科書のような存在だと思っていたのかな。自分より遥かに遠く高く、楽しむような対象ではない、というような。

 

なんですが、

やり続けてみるものだなぁ、と思いました。平成最後の日に、気が付けて良かった。大きな味方がついたような気がする。新時代はこれでがんばっていこう。

写真は、帰り道に。

過ぎ去るトラック。

 

そんな、今日でした。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

『踏』 2019.0427

職業音楽家などとヤクザな生き方をしていると、およそスケジュールは常に流動的でかつぎりぎりであって、つまり、

普通の時間にご飯が食べられない。

ことになりがちです。

 

例えば、午前中のリハ→移動→午後は別件のリハ→夜は自分の練習。というようなスケジュールは珍しくもなんともないけど、この場合はお昼ご飯時間がほぼ犠牲となる。

あと、犠牲になっているのは夕食。一応食べることが多いのだけど、ちゃんとは食べられない。

 

なんですが、たまにね、恋しいのよ。

おうちで、普通の時間に食べる夕ご飯。

 

なので、今日はたまの普通の夕ご飯をしました。なんか、ゆったりできるからいいよね。こういうときは、ゆったりを味わいたいからご飯のあとの練習もなし。

 

ですが、別の努力(?)は積み重ねているわけで、

それは靴。

 

いつも本番のときは少しだけ踵が高い靴を履くんだけど、私はヒールが苦手。どうしても慣れない。

なので、今日からは、その靴の底をきれいに拭きあげて家の中でもそれを履いて過ごすことにした。今までも、靴を履いて練習することはよくしていたんだけれども。

こうしていると、床を踏む感触がぺたんこ靴のように慣れそうです。早く、慣れるといいな。

そんな、今日でした。

5月5日は今までよりもっと面白くなるから、ぜひ来てくださいね。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

『疲』 2019.0426

今日は練習の予定をきちんと立てていた。

昼間の用事が済んで、18時から22時までさらう、と。

 

その前の用事から帰宅中に、「今日は絶対12時には寝よう。」と、決めていた。

 

と、いうのは

まぁ自律神経の働きなんかが良くないタイプの虚弱なので、お医者様に疲れないようにしなさい、と最近言われているからです。

とは言え、これが意外と難しい。

そもそも、短時間でバン!と集中してやるほうなので、4時間くらいの練習のときも集中の加減はあれど、4時間は集中しているわけです。で、そうすると、4時間後には大変疲労している。いつもの使い物にならない状態出来上がりというわけです。

で、最近の私は練習の他にも創作的なことに取り組み、身体のために散歩やジム(専らサウナ)にも行っているから、わりと、疲れる。

 

今までは、それらの活動の他に練習は疲れ果てたその先までやっていたのですが、疲れないようにするために、今日は絶対に4時間(小休憩や間のストレッチ含む)でやめる、と決めていたのです。

 

なのですが、

 

4時間経つ前に、眠くなってきた。

 

眠いと、もう弾けない。

だから、日記やって、もう寝るの。

 

練習は、変ロ短調の音階(音階、アルペジオ各種、反復進行、半音階、3度、6度、オクターブ、フィンガードオクターブ、10度、ハーモニクス。ここまでやって音階をやった、という感じ)、基礎エチュード。曲を少し。ピアノのハノンからいくつかの調の音階やアルペジオ、バッハのインベンション3番、ショパンの大作を少しかじる。

音階はいいね。清く正しい生活を送っているような気分になれる。

 

そんなふうにして、がんばってるから5月5日『青の時代 vol 2』にはぜひたくさんの方に聴いてもらいたいな。新しい作品にも挑戦します。

写真は、こないだの吉祥寺ブラックアンドブルー、サウンドチェック後。ビールは私のではない。ライブハウス、あまりまだよくわかっていないけど、こういう雰囲気なのかな?

 

そんな、今日でした。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

 

『脱』 2019.0420

今日は昨日の疲れが残っていたのですが、わりと練習ができた一日でした。

この練習、というやつは、あっという間に時間が過ぎる。

気が付いたら4、5時間経っていたりする。

 

私の練習は、かのメニューインが晩年の指導のときに言っていたという時間配分をベースにしていて、それは15分ほど弾いたら5分休むというようなやり方にしている。

メニューインいわく、とかく長時間の練習で身体を壊すヴァイオリニストが多いから、このペースを守るように、と言っていたと何かで読んだのだ。

まぁ、実際には30分弾いて15分休んだり、10分弾いて1分ほど休んだりしている。

これ、わりと集中力を持続させないとうまくいかないやり方だと思うので、人によっては合わないかもしれない。

私も、元々は2時間集中するやり方がやりやすかった。けど、まぁ程よい緊張感を長時間保つのも、いいものだな、と思う。

 

短い小休止の間は、ちょっとした家事だったりストレッチだったり。敢えて練習の内容を忘れるのがいいんだな。だらんとしたいときは単にバランスボール座ってTwitterを眺めていたり。そんなふうにして、ヴァイオリンとピアノとやると一日はあっという間だ。昨日の疲れの残りがあるのか、今夜は夕飯も食べる気分にならなかった。ちょっと食べると疲れちゃう日もあるんだな。

 

甘いものが食べたいな。冷蔵庫にリンゴがあったから、明日はアップルパイにしよう。パイ生地を買ってこよう。

写真は、今日の午睡のあとに(言い訳がましいですが疲れてたの)軽いお散歩した近所の神社。あらゆる光の中でこもれびは最も愛おしい。

そんな、今日でした。

ソロコンサートでやるものをがんばってさらっております。 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

 

『練』 2019.0416

このことについて、私は当分の間は検証するつもりがないのですが、

恐らくこの漢字日記のタイトルに使う漢字は、「ダブる」どころか「トリプる」ことも出てくるだろうな、と予測を立てております。

でも、いいの。

日付が違うから。

 

えー、言い訳から始まりました本日の田中幾子日記でございます。

 

本日の田中幾子は

午前中:寝てた

午後:山

夕:所用、そして練習

 

という、三本立てでございました。

 

毎日よく寝るんです。

山にも行くし、夜は19日の吉祥寺ブラックアンドブルーで演奏する自作自演の練習。

一昨日、渋谷ムジカチェレステ松濤で、「メトロ」を演奏させてもらったばかりだからか、ピアノ曲も少し慣れてきたようで、練習は案外スムーズになってきた。継続は力なり、ですね。だって、ピアノ弾く時間のほうが長いこともあるものな。

「メトロ」は、できる機会があったらピアノトリオにしたいなぁ。

 

まずは、何はともあれ体力がないと作曲も練習も文章も人生もうまくいかないから、山にも行っている。いわゆる里山というような身近なものですが、私にとっては十分「山」。小一時間の山歩き。なんといっても、耳が休まるの。

 

で、本日の写真は La.mama の入り口付近。ケースが光っているのは、車のライトに反射するシールを貼っているから。帰宅が遅いことが多いから貼っているんですよ。

そんな、今日でした。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2

 

 

『山』 2019.0311-2

私は強欲な女であるから、今日は日記を2回書くのだ。だって、さっき書いたのは、昨日の日記だもん。

 

昨日のコンサート明けて今日は、山に行ってきました。朝起きた瞬間から、自然にまみれたくて仕方なかったからです。

公共交通機関を乗り継いで、1時間ほどのところにある山。雨上がりでぬかるんでいるところも多くて、舗装されているところしか歩けなかった。舗装されている道がある山を山と定義していいのかどうか疑問に思うところではありますが、

ここでは、私にとっての山、

ということでお願い申し上げます。

 

風もなくて、木のざわめきもない。鳥のさえずりに耳が癒される。

とても気持ちよくて、帰り路はなんと、交通機関を利用せずに徒歩で街まで帰ったのです。

途中、道を間違えたりして、正味2時間かかった、我が下山。

下山後(つまり本来の意味での下山のみならず、街までの帰路も含めて下山と呼んでいる)、まずやったのは

マックでポテトとコーラである。

 

こんなの、半世紀ぶりだ。。。

 

と、思えるほどの、爽快感。実際、何年ぶりだったんだろ。

 

しかも、そのあとは、ジムでサウナに入る。

 

しかも、そのあとは、バッハの練習をする。(16日の阿佐ヶ谷で演奏します。)

 

なんて、なんてことなんだ。

 

山のあと、サウナに入ったら。そのあとはビールでしょう。そこを敢えてバッハの無伴奏。

頭がおかしいんじゃないか、と思いつつ、今日の強欲な一日を閉めようと思います。

 

そんな、今日でした。

『紙』 2019.0309

今日も、練習以外にネタがない日でした。

何をどう練習して、どこの部分がどう変わったとか、そういう話は五万とあるのですが、そんなこと書いてもしょうがない。詳細は聴いて頂くしかない職業なので、ホントにネタがない。ご飯はご飯でたくさん食べたけど、練習で忙しくて、今日はあまり印象に残っていない。今日は、マジメだったんだな。

そんなわけで、たいして書くこともないのですが、

明日持っていく楽譜の中で、ちょっと変わったものがあって、

うちに、それこそ五万とあるようなコピー(そんなにあるはずないな、と今冷静に思った)。いらなくなったコピー譜の裏をいつもメモやらなんやらに使っていて、

明日は、本番でこれを使います。

他のものは、全部暗譜で、リハーサルでしか楽譜は使わないんだけど、

今回は、これの裏面を使う。

 

詳しくは、明日の本番で、ということですね。楽しいことになるといいな。

 

そんな、今日でした。明日はがんばるぞい。

『私』 2019.0308

おかげさまで、本日無事に誕生日を迎えることができました。

とはいえ、今日やったことは朝から晩までひたすら10日のための練習。

もお、指も腕も身体も頭もすべてボロボロ。もう、が、もお、になっちゃうくらいである。

 

そんな中、ちょっとお誕生日らしかった出来事。姪っ子の〇〇えちゃん(中2)から誕生日のお祝いが届いた。

なんというか、非常に子どもらしいメッセージが添えてある。(彼女の由緒正しい子どもらしさについてはまたの機会にでもご紹介します。)

そうだ、私は家族には「えっちゃん」と呼ばれている。

 

こういうと、皆さん一様に「何故?」とおっしゃるのだが、理由は簡単で、

幼い頃、お喋りが上手でなかった私は、発音が悪くて、自分のことを「いくちゃん」と呼ぼうとして、周囲には「えごじゃ」と聞こえていたらしいのです。その頭をとって、「えっちゃん」になったのだとか。

なので、あいつは私のことを「えっちゃん」と呼ぶ。

ただ、それだけの話なんですが、自分には一番しっくり感じる呼ばれ方だなーと思います。

 

そんな、今日でした。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0310 出演「青の時代」

2019.01.09 いつまでたっても

何も変わっちゃいなかった

これを書いている1月9日。この週末に急に出番が決まった演奏会があるのだが、その決まった日というのが、先日の6日の夜のことでした。

最近弾いている演目の他、試してみたい曲を入れ、それとは別に来月以降に取り入れたい曲、やるのはずっと先だが早めに仕上げたい曲などなど、それらを今のスケジュールで練習していくことを話し合っていたら、つい叫んでしまっていた。

「こんなに頑張ったら死んじゃうよ!」

あ、と思った。

遠い昔、同じようなことを叫んだ記憶がまざまざと甦った。

 

確か、小学生の頃。夏休みだった。一日に8時間くらい練習しなさい、と言われて私は叫んだのだった。

「そんなに練習したら、私死んじゃうよ!」

そしたら、姉と母は大笑い!「死んでごらん、新聞に載るから!」

えー、なんなのそれ。意味がわからない。

私より8つも年上の姉は母と同じ大人の考えの持ち主だったから、余計私はぶすっとしたのだった。

 

あ、今あのときと同じこと言ってる。

あの時と若干セリフは違うし、あの時は8時間さらわなかった。

それになんといっても、ヴァイオリンの練習のしすぎでいたいけな少女が死に至ることがあれば、それは例えばパガニーニには悪魔が憑りついているから埋葬の許可が降りないとかいう逸話に匹敵するくらい、クラシック史上を賑わせられる世にも珍しい出来事として語り継がれるであろうことはいくら私が天然ボケの名人であったとしてもわかっている。

その時私が気が付いたのは、

あ、私って変わらないんだ。ということ。

 

物心ついたときから好きな曲は変わらない。

あの頃レッスンで習った曲、どんなふうに弾きたいとか。その当時に叶わなかった理想のイメージをなんとか叶えようと弾いているけど、いつになったらできるのかなぁ。

そうなんだよなぁ。生まれてこのかた、好きなものが変わったことがない。

好きな色に好きなスタイル。飽きそうなものは、最初から手を出さない。

 

そんなふうにして、自分を知ることができるから、音楽はいい。ヴァイオリンはいい。幼いときから続けるものだからね。

ちなみに、本件に出てくるくだんの名セリフ。数年前に、ヴァイオリンを習っているよく弾ける少女と話したときに、彼女は間違いなく同じことを口走った。なるほど。これは、ヴァイオリン少女にとっては避けては通れないことなのかしれない。

なにしろ弾いている間は、いつまでたっても少女の頃と変わりないからね。

 

 

ちなみに写真は、最近聴いているレオニード・コーガンのメンデルスゾーン。これのラロがまたいいんだ。こんなことしていると時を忘れちゃう。はい、おしまい。

 

 

 

 

2018.10.22  この季節

秋の空はブラームスのホルンの色

空を見上げると、ブラームスのホルンが聴こえてきそうな高い青。

そんな季節になってきた。(私が言うブラームスのホルンとは、彼のピアノ協奏曲第2番第1楽章冒頭に代表される。)

 

練習も、音楽に必要な作業も室内で行うことがほとんどだから、青い空が恋しくて、できるだけ日中にそれを感じに用もなく歩いたりする。

なんだけど、せわしなさに追われて、気が付いたらもう冬のような夕闇が迫っていて。

 

あぁ、空が恋しいなぁと思っているうちに、別世界のような違う季節に飲み込まれている、そのせわしなさだけはいつもいつまでも変わることがない恒常性を持っている。

変化と恒常性の関係はいかんともしがたいことに気が付いたことが今日の変化。