コンサート

『呑』 2019.0610 

首都圏はなかなか激しい雨が降っている本日ですが、今週末に行われる Yuuki くんのコンサートのためのリハーサルに行ってまいりました。

例によって、ヴァイオリンとピアノを弾くのであります。

ちょっと、昨日までのパガニーニによる凄まじい楽譜に浸りきっていた状態から明けてコードだけの楽譜なので、少し切り替えがやりにくかったのですが、まぁこれも慣れるだろうな、と思っている。ト音記号とヘ音記号の違いのようなもの、というふうに捉えています。目下の課題は音程の取り方を変えることです。

 

で、今日の私はこれから盟友ピアニスト藤井麻理ちゃんとさしで呑むのだ。

 

麻理ちゃんと呑むのは去年以来だなぁ、確か2月頃に呑んだときは、同日に2回呑むという離れ業を二人で行ったのだ。午後から新宿で呑んで、夕方に一旦解散して夜に目黒のバーヴァルスで呑んだんだった。「やっぱ、このくらい吞まなきゃね!」って言ったのは、私のほうだった。

 

こうやってリフレッシュしたら、明日からはまた猛練習と創作の日々でございます。「雨女」のことも考えているよ。がんばるぜ!(お酒じゃなくて、練習を。)

 

写真は、今日のリハーサル。エアコンが効いていて寒かったから帽子まで被ってピアノを弾いていた。

そんな、今日でした。

帽子は被りません。

ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

『奮』 2019.0609

今日はとみーとのパガニーニ・ミーティングスの演奏会でした。恐ろしく楽しかった。

いい写真や動画も撮れたので、コンサートのプログラムとともに改めて記事にしたいと思っていますが、私はカプリス24番を弾きながら物凄く興奮して、大変だった。

 

休憩中は控室で放心していた。

 

後半にも、またかなりの難曲があったけれど、それはカプリスより楽しく弾けた。

 

楽譜スライドショーを背景に流すのも、なかなか素敵だった。それに、とみーのギターソロがすごく良かった。やっぱりとみーは、ソロが一番好きだな。そんなことを思ったりしながら聴いていた。

 

興奮のせいか、今夜はすぐ寝付ける気がしない。でも、明日もリハーサルで楽しい日だから、きっと大丈夫だ。それに、この私たちの「パガニーニ・ミーティングス」はシリーズ化できそうで、2回目の日程は間もなくお知らせできる。あぁ、嬉しいな。

 

そんな、今日でした。お越しの皆さま、ありがとうございました。とみーもありがとね!

『江』 2019.0608

飽きもせず、日々山へ向かっている。

今日も、練習して散歩して練習して体操して練習してお昼ご飯を食べて練習して山に行き練習して夕食、そして現在へと至る。

 

よくもまぁ、こんなに山へ行くものだ。

もう、田中幾子ではなく、山江幾子だ。

 

そんなつまらないことを思いつく余裕は、まだあるらしい。

明日のパガニーニ、がんばります。

写真は、夕食のもの。キャンベルのクラムチャウダーに野菜を加えて、冷蔵庫の中身をあらかた使いました。私はこの手の料理を、冷蔵庫料理と呼んでいる。そこに小物として無関係なレモンを添えてみたところがあざとい女である。

 

そんな、今日でした。

ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

『違』 2019.0607

おかげさまで、今日も充実した一日でした。

おしまい。

 

とでも言いたいくらいもう眠いのである。

 

パガニーニのような難しいものをやっていると、頭の使い方も身体も、尋常ではなくなるからかもしれない。右手も左手も同時に忙しいんだもの。全身大運動会、といった感じである。音の行き来もちょっと変なところがたくさんあるし、相当神経使っていると思う。

昨日の朝、 Yuuki くんの音源を聴いていて思ったのは、ポップスはまるで映画を見ているようだな、ということ。比べたら、クラシックは難しい教科書を理解して覚え込むところから始まり、それを自分の理解として語ることができるようになるまで血肉にするのだから、頭の使い方がまるで違うんだな。パガニーニに限らないけど、クラシックにはこの難しい教科書というものがたくさんあって、その内容がまた普遍的で素晴らしいんだよな。ポップスに感じた「映画の音楽化」とは、同じ音楽と呼ぶには全く違う要素だな、と思う。この違いが面白いけどね。もし、同じような要素の音楽だったら、こんなにたくさんの活動を同時に行うことはできないだろうな、と思う。

ところで、クラシックには即興的なところはない、と思われがちなのですが、そんなことはなく、実は正に即興であるメロディをある曲の中で弾くつもりです。楽譜上、そうしても良さそうなんだよな。

 

明日も、練習しよ。

写真は、今日の午後の山。田んぼになっていた。

 

そんな、今日でした。

 

ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

『指』 2019.0606

こんばんは。田中幾子のお時間でございます。

 

えぇ、本日はだいぶ疲労が蓄積しておりまして、この時間にしてもう既にグデグデという感じというか、数時間前からずっとそうだよ。パガニーニと暑さでやられちゃってますね。

 

そんな今日は、昨日予告したとおり Yuuki くんのリハーサルでした。世田谷区のリハーサルスタジオで執り行われました。執行したのは、彼の他に打楽器プレイヤー、ベーシスト、そして私である。

 

ふと、会話にこんな単語が飛び出てきた。

 

「指パッチン」

 

あ、指パッチン!

 

指パッチンと聞くと、同時に思い出すのは口笛である。

 

私、どっちもできたことがないから。

 

それだけの話である。

 

そんなふうにして、楽しいリハーサルは進み、来週の彼のコンサートまであと2回ある予定だ。

それにしても、打楽器は楽しいなぁ!繊細で軽やかで、打楽器という楽器群を扱うのは相当センスがいると思われる。そんなセンスを目の当たりにできるから、打楽器の人との共演は大好物だ。

 

そんな、今日でした。パガニーニは朝練習した。

写真は、共演の打楽器プレイヤー中山ユキさんの楽器群。奥には主役の Yuuki くん。

打楽器も指パッチンもございませんが ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

 

『明』 2019.0605

今日は、とみーとパガニーニ・ミーティングスの最終リハーサルだった。

とにかく、今回は二人とも曲が難しい。幸いにして、「二人とも同時に難しい」曲はないため自分のやることに集中していられるが、これがこの内容で同時に難しかったら大変なことになる。

デュオで二人とも難しい曲といえば、私の一番の思い出はベートーヴェンのクロイツェルソナタだなぁ。あの1楽章には恐ろしい箇所がある。(これ、今年11月24日に盟友藤井麻理ちゃんと共演予定なので、よろしければお越しください。)

 

とはいえ、今回の曲にも「私は難しく、とみーはやりにくい」ものがあるから、それがわりと恐ろしい。何しろ、この辺りには私は正直パガニーニの狂気を感じている。だが、相手は歴史的偉人だ。文句は言いようがない。まぁ、腕の見せ所ではあるとも言える。そこは、とみーを信じて任せるしかないんだ。こんなのは、任せられるやつにしか任せられない。だから、あいつは戦友なんだ。

という、やりがいたっぷりな今回なのですが、

 

今日のリハーサルも気持ち良かったな~。

 

とみーのスタジオは、うちと違ってお日様の光が燦々と入ってくる。

 

パガニーニの持つ、イタリアらしい明るい美しい旋律を奏でながら、自然の日の光を感じて、あぁ私は音楽しているなぁ、と心から思えた。

 

それでいて、私の明日は先日サポートした歌の Yuuki くんのコンサート(来週末だ)のリハーサルで、またピアノも弾くから、夜はハノンと音階とバッハをさらっていました。これはこれでいいんだ。パガニーニ漬けで頭も身体も疲れているところにちょっとしたリフレッシュになる。ピアノを弾いていると、ピアノってすごい楽器だなぁと心底思える。ここから出てきたはずの無数の名曲たちをもっと知りたいという欲がいくらでも湧いてくる。ピアノにおける今の私の目標は、ピアノでもっと音楽的な演奏ができるようになりたい、だ。

 

で、明日はそれのあとに、パガニーニの曲の中でテクニック的には難しくないところを練習するつもり。もっとこう弾きたい、という自分の願いを叶えるために。

 

写真は、とみーのスタジオ。私は本とCDは極力買わないようにしているけど、あいつは結構買うんだな。私はこういう本棚に囲まれて過ごしたいぜ。

 

そんな、今日でした。

ヴァイオリニストたるもの、ソロコンサートでもパガニーニを弾かなければいけないかもしれない

ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

Diary.2019 May

 

『初』 20190501

『肩』 20190502

『動』 20190503

『二』 20190504

『三』 20190505

『々』 20190506

『時』 20190507

『泣』 20190508

『好』 20190509

『同』 20190510

『富』 20190512

『弾』 20190513

『薔』 20190514

『譜』 20190515

『選』 20190516

『大』 20190517

『楽』 20190518

『源』 20190519

『屋』 20190520

『家』 20190521

『肝』 20190522

『撥』 20190523

『黒』 20190524

『諦』 20190525

『神』 20190526

『弾』 20190527

『厭』 20190528

『逆』 20190529

『小』 20190530

『面』 20190531

『面』 2019.0531

今日もとみーとパガニーニ・ミーティングスのリハーサルだった。

公開の場でも、とみー、と呼んでしまっているけど、本名富川勝智。クラシックギタリストでは有名な人です。

 

とみーは、今日も面白かった。

が、何を話したか覚えていない。そんなことより、私はパガニーニの自分のパートが難しいのだ。そもそも超絶技巧がポンポン出てくるし、ギターの合いの手がまた妙な具合に書かれていて、あぁパガニーニとはいかに奇人であったのか、思い知らされる。

特に、日本で演奏された記録がないというある曲が大変なことになっている。

 

けど、面白い。

 

あ。面白かった、と思ったのはおしゃべりじゃなくて、曲を仕上げていく道のりだったのか。そうだな、難しくてしゃべっている暇なんてそんなになかったものな。

 

で、合間の休憩に私は昨日から始めた逆立ちをして、とみーに「それ、逆立ちじゃないよ。」と言われたりしていた。いいんだ。数十秒ですっきりするんだから。

それにしても、パガニーニは弾けば弾くほど楽しいなぁ!気持ちがいい軽い運動をしているみたいだ。もっとこんな感じが大きくなるといいな。

 

写真は、夏部屋になった我が家に珍しい、ギターの足台。クラシックギタリストには必須なんだな。

 

そんな、今日でした。

こっちもがんばるぜ。ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

 

 

 

 

『小』 2019.0530

写真だとそう見えないようだが、私は背が低い。

 

正直に告白致しますと、152cmしかないです。

 

小さいよね。

 

演奏しているときも割合大きく見えているようですが、ハイヒールは苦手だから本番の靴は踵があまり高くないし、どちらかというと偉そうに尊大な態度で弾いていることが大きく見えるその理由ではないかと思う。

 

で、背が低いということのデメリットを幼いときからこれ以上ないほど享受して生きてきているので、「私は小さいから、〇〇ができない」と言えるような物事がそれなりにある。

例えば、ちょっと混んでる電車内でのつり革。届かないよね。(これは私に限った話ではないかもしれない。)

一番、小人だなと感じたのは夕方のJR新橋駅のホームで周囲がサラリーマンの男性方ばかりだったとき。右も左も上も下も見えなかった。人が多い時間帯だとそういうこともある。

 

で、この小ささは実生活においてまた不具合を発揮してくれる。

例えば、押入れや作り付けの棚の上部や奥は全く役に立たない。椅子などに乗ったとしても、これまた短い腕では届かない境界線の向こうという世界があるのだ。(脚立は苦手なので使いません。)

 

なんですが、今日は夏にむけて若干部屋を模様替え。練習部屋の床のじゅうたんを剝ぎ取り、押入れの天袋になんとか突っ込んだ。この天袋は突っ込むことと引っ張り出すことしかできないから、中はぐちゃぐちゃというより他がない。

この作業を、他の部屋においてもやってかなきゃ。

 

物事は、大きいほうが便利だよ。そう書こうとして「大は小を兼ねる」ということわざを思い出した。なんだ、私なんかがぐだぐだ書かなくたって、私たちには素晴らしい文句があったじゃないか。バカだなぁ。

 

そんな、今日でした。

写真は、剥ぎ取った床で大活躍してくれたルンバです。

夏仕様の部屋で音楽やってます。ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

『逆』 2019.0529

ついさっき思いついて試してみたことなのですが、

何かというと、

 

練習の合間に逆立ちをする。

 

これがとても良さそうだった。

 

前にもいつかの日記で書いたとおり、楽器を弾くことと心身のバランスを整えることはつながっていると思っていて、日々里山散策に出かけたり朝散歩を行っているのも、全てそのためなのです。外に出かけられないときは、部屋の観葉植物を愛でていたり、とかね。

で、昨今の私は何しろパガニーニという恐ろしい人の作品群に向かっておるので、そういったことをより考えております。

 

小休止を入れながら練習するのだが、そこでストレッチをしたり軽い体操をしたり。で、その取り組みに簡単な逆立ち(といっても腕で支える筋力はないから頭で支える)を取り入れてみたら、いいですね。脳の働きも良くなるかのような感じがする。

脳の働きというのも不思議だな。

最近気が付いたけれど、演奏には動体視力の良さも必要ではないか、と思うし、人の認知の9割以上は視覚情報によるもので聴覚情報からは少ないんだよな。音楽家はきっとそれが多いんだろうけど、人本来の機能としては視覚からの認知を脳はしやすいわけであるから、それを工夫したほうが楽に演奏できるんじゃないか、という気がする。少なくとも練習するときはそうだ。楽譜の見方によって演奏はずいぶん変わってくる。そしてその楽譜を見ることは動体視力も実は大きく関係しているのではないかなと思う。音楽の流れにより耐えず動く手の動きと併せて譜面を見る、というのはその辺の能力も関係していそうだ。

 

とか、そんなことを思いながら過ごしているので、毎日練習部屋と山との往復なんだがこれはこれでとても興味深く、楽しい。

 

写真は、山にある水車小屋。今日の山は実にいい空気と風だった。

そんな、今日でした。

ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」