Notes

『裸』 2019.0213 

今年の冒頭に、
最近日光浴を始めた、と書いた。

それが高じて、
最近、
裸足にもなっている。
公園なんかで足で直に土に触れるわけです。

これが、気持ちいいのです。

 

どうやら、
芸術家によくある心神喪失のような状態になっているようで、
それを解消するには、
自然に触れて(文字通りである)、肉体を動かすことがいいらしい。

それも始めてこの1週間くらい。

 

気持ちいい。

 

ちなみに、
この内容に即した公園の写真を撮ろうと思ったのだが、
これを書いている現在は深夜である。
よって、うちの観葉植物で代わりとした。

芸術、などと言っておきながら、
やっているのは、こんな程度のことだったりもする。

 

そんな、今日でした。

 

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2019.0131 渋谷La.mama 「chemical drive」

2019.0131 渋谷 La.mama 曲目

 

『崩』 2019.0211 

ゲシュタルトが崩壊するようなことがわりと日常茶飯事な性質なので、
最近は地に足つけてやろう、と目下努力中。

音楽のもつ、呼吸。息遣い。
そこからリズムが産まれて、メロディが際立ち、和声は理論的に容赦なく進む、
ときには愛情深く待っていたり。。

とかなんとか、
自分の中にその土壌を育むかのように音楽丸ごと感じ取りたいと思っているうちに、

あ、私、この世にいない。

 

を、通り越して

 

なんか、生きた心地しない。

 

に、なってくる(なぜだ!?)。
全く景気が悪い話で至極申し訳ない。

 

だから、近々お披露目予定の作品に取り掛かりつつ、

地に足つけて、音は天に舞うような演奏を目指しております。
真面目だぜ。

 

そんな、今日でした。

 

『静』 2019.0208 

芸術家の一日には、無数の瞬間が存在する。

我々、音を愛する音楽家たちは同じくらい静寂を愛し、
静寂の中、自身の中にある音に聴き入る。

 

そんなことを考えながら、
静寂を慈しみながら過ごしていたはずの今朝は、

朝食のかぶのソテーを焦がした。

 

夕は母からちょっとした朗報。

晩は明日弾くハイドンのピアノトリオの練習。楽しい。

 

明日は雪の中、楽しく弾こーっと。

 

そんな、今日でした。

『読』 2019.0207 

本を、たまに手に取って数ページ、
数十ページ読めたりするときがある。

断片的に読んでも面白い、心に残る、なにか印象的なくだり。

時々読みたくなるラインナップにあるのは、ヘッセやリルケ。
少ししか読まないのに、感動的なんだよなぁ。

この感動を胸に、人との会話は「風の谷のナウシカ」だった。
私は原作派。

そんな、今日でした。

『本』 2019.0206 

読むのが好き。

なんだけど、忙しいとあまり読めない。

子供の頃から、リアル二宮金次郎だった。

だって、ランドセルは、書物を読みながら歩くときの荷物として、とても適しているんだもの。背負いながら歩いて読むと、姿勢も良くなる。

だから、読むのは好きなんだけど、

 

最近は、楽譜を読むのが読書のようになってしまって、読み物をあまり読めてないなぁ、まんがも好きなんだけど、あまり読めてないなぁ。

そんな、今日でした。

終演 2019.0125 曲目

照明にびっくり

先日出演した二子玉川Gemini Theaterでのこと。

まず、演奏した曲目をご紹介します。

 

ドヴォルザーク 4つのロマンティックな小品Op75より第2曲
バッハ 無伴奏パルティータ第2番よりシャコンヌ
IKUKO TANAKA モーツァルティーナ
バッハ 無伴奏パルティータ第3番よりブーレ、ジーグ
イザイ 無伴奏ソナタ第3番「バラード」
他、ヘンデルやフィオッコなど演奏しました。

(写真はサウンドチェック中。暗譜の確認。キーボードが出ているのは、他の出演者の方のためです。)

 

演奏中にとてもびっくりしたのは、照明。

今からシャコンヌを弾きます、と構えた瞬間に暗転して真っ暗!あ、真っ暗で見えないわ、と思ったのですが、

そういえば、私、シャコンヌ弾くときはいつも目を瞑って弾いていたわ、と思い出したのでした。

そのあとも、変奏ごとにどんどん照明の色が変わっていくことで
「ここは、こういう印象なんだ」と、
会場のスタッフさんが曲に抱くイメージを感じられるなど、とても面白い体験でした。

それにしても、
舞台で一人で演奏したりお話ししたりすることにまだ慣れなくて
(特にお話しのほう)、時間がわからなくなってしまい、
持ち時間をオーバーしてしまいました。関係者の皆さまごめんなさい。
反省。

クラシックの演奏会では、持ち時間というものがなかったり、
お話しするようなカジュアルな雰囲気の演奏会を行う場所は時計が見えていた(要するに部屋のようなところで行っていた)など、
いろいろと違いがあるのですね。
私がまだ慣れないので、それらの背景を慮って下さる皆さま、ありがとうございます。

 

あと面白かったのは、

ライブハウスというところは、
クラシックのコンサートホールと違って、会場の音響設計の概念が違う。
今まで、会場の反響で音の響きを聴いて弾いてきたのですが、
ライブハウスでは、PAさんがその響きを作るのですね。
これも聴こえ方が全く違うので、
最初は戸惑ったけれど、逆にお任せすればいいんだ、とわかってからずいぶん安心して弾けるようになりました。

当たり前といえば当たり前のことなんだけど、
実際に体感するとまた違うものですね。

終わってから、
ディレクター兼マネージャーさん(この方がまた大変なクラシック好き!ヴァイオリンもかなりお詳しい)といろいろお話ししていて、
こういった場所でクラシックを聴いてもらうための実践的なアドバイスをたくさん頂いて、

「あー、こういうライブハウスというところは、音楽をやる人を育てる場所なんだなぁ。」

と、本当に実感しました。

 

などなど、面白かったことと反省することと悲喜こもごもな今のお話しでした。
お越し下さった方々、ありがとうございました。

活動開始

オール無伴奏

 

この二日間、今までやったことがないシチュエーションで演奏してきました。

一つめ。神田のライブハウス THE SHOJIMARU

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2019.0112 曲目

渋谷の老舗ライブハウスにて

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2019.01.09 いつまでたっても

何も変わっちゃいなかった

これを書いている1月9日。この週末に急に出番が決まった演奏会があるのだが、その決まった日というのが、先日の6日の夜のことでした。

最近弾いている演目の他、試してみたい曲を入れ、それとは別に来月以降に取り入れたい曲、やるのはずっと先だが早めに仕上げたい曲などなど、それらを今のスケジュールで練習していくことを話し合っていたら、つい叫んでしまっていた。

「こんなに頑張ったら死んじゃうよ!」

あ、と思った。

遠い昔、同じようなことを叫んだ記憶がまざまざと甦った。

 

確か、小学生の頃。夏休みだった。一日に8時間くらい練習しなさい、と言われて私は叫んだのだった。

「そんなに練習したら、私死んじゃうよ!」

そしたら、姉と母は大笑い!「死んでごらん、新聞に載るから!」

えー、なんなのそれ。意味がわからない。

私より8つも年上の姉は母と同じ大人の考えの持ち主だったから、余計私はぶすっとしたのだった。

 

あ、今あのときと同じこと言ってる。

あの時と若干セリフは違うし、あの時は8時間さらわなかった。

それになんといっても、ヴァイオリンの練習のしすぎでいたいけな少女が死に至ることがあれば、それは例えばパガニーニには悪魔が憑りついているから埋葬の許可が降りないとかいう逸話に匹敵するくらい、クラシック史上を賑わせられる世にも珍しい出来事として語り継がれるであろうことはいくら私が天然ボケの名人であったとしてもわかっている。

その時私が気が付いたのは、

あ、私って変わらないんだ。ということ。

 

物心ついたときから好きな曲は変わらない。

あの頃レッスンで習った曲、どんなふうに弾きたいとか。その当時に叶わなかった理想のイメージをなんとか叶えようと弾いているけど、いつになったらできるのかなぁ。

そうなんだよなぁ。生まれてこのかた、好きなものが変わったことがない。

好きな色に好きなスタイル。飽きそうなものは、最初から手を出さない。

 

そんなふうにして、自分を知ることができるから、音楽はいい。ヴァイオリンはいい。幼いときから続けるものだからね。

ちなみに、本件に出てくるくだんの名セリフ。数年前に、ヴァイオリンを習っているよく弾ける少女と話したときに、彼女は間違いなく同じことを口走った。なるほど。これは、ヴァイオリン少女にとっては避けては通れないことなのかしれない。

なにしろ弾いている間は、いつまでたっても少女の頃と変わりないからね。

 

 

ちなみに写真は、最近聴いているレオニード・コーガンのメンデルスゾーン。これのラロがまたいいんだ。こんなことしていると時を忘れちゃう。はい、おしまい。