Notes

『Paganini Meetings7』11/1 14:00~

パガニーニ。

世間一般でのイメージは超絶技巧、伝説のヴァイオリニスト……、ちょっと詳しい人なら悪魔のようなヴァイオリニスト、だろうか。

 

実は、彼は同時代の音楽家たちにもっとも影響を与えた人だと言われている。

そうそうたる歴史的音楽家たちが、総じて彼の演奏を聴きに行き、涙し、生き方を変えるほどの影響力があったようだ。リストを始めシューベルト、シューマンのところは夫婦で驚いたようだ。ワルツで有名なヨハン・シュトラウス、あのショパンだってそうだ。ずっとあとになってロシアのラフマニノフもパガニーニのカプリスを元にした、更に悪魔が飛び交いそうな曲を書いている。パガニーニの主題による狂詩曲。ラプソディーのことだが、狂った詩とはまさにパガニーニのイメージそのものだ。

 

特に、リストが受けた影響は顕著だったようだ。このリストという人も音楽史において革新的なことをやっている。きっとその元になったのがパガニーニだったに違いない。

 

パガニーニ。その人の曲はどうなんだろう。

いわゆる超絶技巧が繰り広げられる協奏曲は、音楽としては目新しいものはない。だって、パガニーニは自分のテクニックを知られまいとして、オーケストラが初見でも弾けるような簡単な伴奏しか書かなかったからだ。彼は、演奏会のその日にしか譜面を渡さなかったしすぐ回収した。

 

無伴奏で弾く24の奇想曲。これはなかなか奇想天外で珍しい。

 

更に言うと、彼の晩年に書かれたバルカバ変奏曲。これは、その奇想曲と双璧として書かれたもので、奇想曲並の超絶技巧を必要とする上にギターの伴奏がまた微妙な具合で効いている。実は、これこそがパガニーニの作曲家としてのセンスの発露がある作品ではないかと思う。オーケストラ伴奏の曲とは、まるで異なる妙なるセンス。演奏は非常に難しい。技巧の他に、独特な何かが必要となるのだ。なぜ、ギターとのデュオにはそのような要素を入れたのか。それは彼がギタリストでもあったからなのだろう。そう思う。

私は、このバルカバ変奏曲集をギタリスト富川勝智氏と取り組み続けているから、彼のギター視点での音楽作りを肌で感じている。

 

パガニーニはギタリストだった。その知られざる事実を元に、彼の音楽性をお聴き頂くシリーズ『Paganini Meetings』。次回は11/1です。ヴァイオリニストとしては、彼が同時代の天才音楽家たちを天に昇る心地にまでさせたその音色と表現力を追求したく思います。

パガニーニ・ミーティングスVol.7

2020年11月1日 

14時開演(13:45開場)

出演 Vn:アイティ Gt:富川勝智

会場 M’s cantina

入場料 前売り2500円、当日3000円(ドリンク別途)

ご予約 03-6450-8111 t-moment@kmd.biglobe.ne.jp

主催     moment

 

皆様のお越しを心よりお待ちしております。

 

 

 

『幅』 2020.0906

この夏はだいぶバテてしまっていて、このサイトもほとんど更新できなかった。雨の国、佐賀県で生まれ育ったのに、湿気に弱いのです。まるで楽器と同じである。

 

そんな中、昨日はおかげさまでオールパガニーニプログラム『Paganini Meetings6』を開催でき、お客様にもお聴き頂けたしアルバム『我儘なソリスタ』もお買い上げ頂いた。

 

で、数少ないコンサートの合間は何をしているかというと、

練習をするのはもちろんのこと、まぁ日々の動画も撮影しているし、あと案外忙しいのは私は趣味と実益を兼ねてバレエをやっているから、夜寝る前はストレッチとバレエで、バレエ用ストレッチというのは凄まじい筋トレでもあるので非常にくたびれる。ただでも、そのぶん鍛えられると思ってやっている。それに、私は踊れるようになりたいのだ。

 

そう、踊り。

 

あと、皆さんご承知のように私は文学好きでもあるから、自分も書きたい。いろいろな書物に手を出していて、あぁほんとは幼い頃のように一冊をほとんど覚えきるように読みたいなぁ、そうできたら素敵だろうなぁ。

 

それはそうと、ピアノの練習においては、まず暗譜することを心がけるようにした。ヴァイオリンの練習は、音階や基礎練習、練習曲、曲、全て暗譜することから始まっていて暗譜してからが自分と音楽との関係になっていくのだが、ピアノはあまり暗譜したことがない。私のピアノが上手くならないのはここにも原因があると思い、今やさしいバッハから暗譜に取り組んでいます。これは作曲のためでもある。

 

そんなわけで、たいした人生でもないのだが、こうして幅広く芸術を行っていきたい、と思うのであります。写真は、最近アップしたロック動画のサムネイル。かっこいいからぜひ見て下さい。

そんな、今日でした。

動画はこちら

『成』 2020.0810

今夜もバレエの練習をしていて気がついたことがあった。

 

夢は、音になりたいというのが子どもの頃からあって、それは子どもらしい夢であったかとヴァイオリンをやめていた頃なんかは思っていたのだけれども、そうじゃなくて私は未だに少女だった頃と同じ夢を持ち続けている。

去年から始めたヴァイオリン一本活動でそのことに気がついたのだけれども、

ここに来て、その夢の源となる自分の存在を発見した、ついさっき。

 

それは、

踊っているとき、ひたすら私は流れゆく音楽に想いを馳せ、憧れる。この感覚を音にしたいとヴァイオリンを練習すると音への憧れが焦がれて仕方ない、あぁ今のこの音になりたいよ、この瞬間のこの音に!

そして、私はいつもバレエにも音楽にもその遥か底辺から物語が語りかけてきているかのように思うから、その聴こえない声にも耳を傾けてなんとかしたいとじたばたとする。だって、お話しのないものなんて存在しないから。

 

今夜は、遥か幼い頃から一貫してあったものを見つけたのだ。それは私自身だ。良かった。

 

 

 

そんな、今日でした。

 

こんな思いで作ったコロナ禍ソロアルバム『我儘なソリスタⅡ』

『芯』 2020.0726

ちょっと前に、微熱が続いていたことがあったから、いくらか検査したり相談をしていた。私のことを知っている方はご存じかもしれないが、実は元来虚弱体質であるので、微熱といった不定愁訴的な症状は幼少のときからの付き合いだ。いくら検査しようと、何も出てきやしない。そういった人生を歩んできているので、今更という感じではあるのだが、人から薦められたものを一通り行い、結果何も出てこなかった。

 

ただまぁ、人に相談しているうちに、いい発見があって、それは身体の中心線を鍛えるということ。

中心線というのは、身体の脊髄のあたりを上下に通る細い線で、この芯がしっかりしていないと演奏なんてのはできやしないから、割合気をつけてはいるほうであるのだが、これを今まで以上に意識するというのだ。というのは、この線上に大事な神経がいくつも通っているから、脊髄の働きが良くなり、結果血の巡りが良くなるからだ。

 

で、これが

身体の具合と共に、演奏上にも非常にいい。

 

あぁ、今まで気を付けているほうだと思っていたけれども、そうではなくて、

自分のためにずっと求めていくのだな、と思った。自分の芯を。

 

全てにおいて、芯を求めよう。そう思ってこういった写真も撮っている。

 

そんな、今日でした。

『肌』 2020.0722

先日開催したオールパガニーニコンサート『Paganini Meetings5』に来られたお客様に、私の音を聴くと肩や頭のあたりがスッと楽になって、柔らかくなるというようなことを言われた。

そう言えば、ずっと前に

重度の身体障碍者の方たちの前でコンサートを開いたことがあって、

 

そこでも同じようなことを言われたことを思い出した。時々言われることだ。

 

違う言いかたをされる場合もあるが、私の音が肌にいい刺激になって包まれて気持ちよくなるらしい。ある意味マッサージのようなものというのか。

 

その障碍者の方々のところでのコンサートでもそうだった。

普段は、音を聴くとびっくりして逃げ出してしまう少年や、怖がる方もいたそうなのだが、

30分近いコンサートでは、私のドレスの裾が触れるくらい足元に寄って座り込んで聴いていたんだよなぁ。(その時はまともなロングドレスで演奏していた。)

主催者の方がヴァイオリン好きで、そのときも私一人で弾いたのだったが、それが良かったのか、皆さんすごく気持ちよくなって下さったようだった。

 

音は空気振動だから、敏感な人や繊細な人にはそれが伝わるのかもしれません。

 

私は、肩当てをしないから、自分自身も楽器と音と一体になっていたいし、

どこまでも敬愛するヴァイオリンという楽器と弓で肉体まで心地良さを感じてもらったら、それは最高に幸せだなぁと思いました。

温泉みたい、だってさ。

 

写真は、最近イメチェンしたから撮ってみたやつ。

そんな、今日でした。

『録』 2020.0709

地味にオリジナルアルバム二枚目を作成していたのですが、とうとう発売日や内容に目処がたってしまった。

だって、昨日、来週のコンサートのリハでギターの富川せんせにゲスト参加頼んだら二つ返事でオッケーで今日録音したんだもん。渋谷のせんせのスタジオで。おかげさまで超いいの録れたよ!ギターの音がしっかり入ってて聴いているだけで幸せだ!私好みの金属っぽさに深い音色!

 

こーなったら、何が何でも間に合わせるしかないぜ……と、豪雨(誇大表現)の中帰宅したら真っ先にピアノに向かって2回くらい練習して、難しくて自分じゃなかなか弾ききれやしない私的伝説が幾多あるオリジナルピアノソロを録りきったのでした。良さそうなものが録れたから、いいかもしれない。

 

私の夢の一つにさ、

富川せんせとのデュオで、ヴァイオリンの共演はピアノでなくてもギターもいいんだってことを知ってもらいたいというのがあって。二枚目には彼に参加してもらいたかったんだよな。なので、がんばって7/19『Paganini Meetings5』に発売できるようにやります。

 

そんなわけで、たくさん録音しきって軽く放心している今だよ。あ、ピアノに向かう前にうがい手洗いは済ませたからね!19日は皆さんぜひできる範囲で聴きにいらしてね!

 

そんな、今日でした。写真は、彼が使ってるマイク。

『曲』 2020.0625

曲を書くときに、無意識のうちに昔から親しんできたものを書こうとしている。

昔から親しんできたものというと、ベートーヴェンやヴィヴァルディ、チャイコフスキーといった大家で、もちろんそんなものを私が書けるはずがないので、ここで言うのは、彼らの音楽の形、構造のことだ。

クラシック音楽の用語で「ソナタ形式」というのがあって、主にその形をやろうとする。ヴィヴァルディの時代にはソナタ形式はないんだが、面白い構造であることには変わりない。(ソナタ形式については、以前こんな解説を書いています。『パガニーニの呪文』

 

アルバム『我儘なソリスタ』を発売する前に思いついたメロディがある。なかなかいい旋律なのだ。ただ、どうも私はこれを活かせないでいる。そんなこんなでアルバムは出来上がり、私は今他の曲も書いている。歌の曲も2つできた。

ふと、気が付いたことは、歌の曲のようなシンプルな構造のものをあまり考えられないのだ。2つの歌の曲はするするできてしまって、作った気がしなかった。リズムが歌っぽいからそうしたという理由だ。

歌の曲というのは、歌詞があるから、曲の構造はごく単純でわかりやすいものが多い。クラシックもポップスも関係ない。ベートーヴェンも歌の曲は書いてますけど、私が親しんできたのは、オーケストラ作品にピアノソロだから、彼がここぞとばかりにあらゆる形式や構造の組み立てを凄まじく練り上げた作品、まるでそうでないと音楽でないような気がしていたんだ。

 

でも、歌の曲もいいよ。モーツァルトのオペラアリアなんて、すっごくシンプルな形ですごく楽しいメロディ。そんなのがわんさかいる。

 

ここで、頭を切り替えて、歌の曲のような形もトライしてみようかな、そう思った次第であります。

そんな、今日でした。

 

写真は、よくわからないメモ。

 

 

『溜』 2020.0624

気候のせいか、しばらく寝込んでいたのでいろいろなことが溜まりに溜まっている。で、生きるのに必要な物事から片づけていくから、楽器の練習が一番最後となってしまった。というのは、練習する前にそもそも調整に預けていた楽器を取りに出向くことから行わなければいけなかったからだ。

取りに行った日は、久しぶりの外出に疲れ果てて、少ししか弾けなかった。

翌日は、練習してみたら身体を動かす神経がなまりすぎていて言うことを聞かない。今日は古来からの芸術家たちがよく言っているつまらないことを数多く片づけたため時間がなく。

と、こうしている間に、やりたいこと、自分が芸術的にやらなければいけないことが溜まっていく。溜まりに溜まっていく。

 

ここで今、ふと気が付いたのだが

 

こういうとき、私はいつも溜まる、と感じる。

 

なんだけれども、もしかしたらこれは貯まっていっているのかもしれない。

 

私の芸術の元が。

 

 

そんな、今日でした。

写真は、暑くなってきたから出した扇子。

『戻』 2020.0613

作曲も手掛けているヴァイオリニストなのですが、私の作曲はまずピアノで行う。

というか、今のところピアノ以外では作曲をしていない。

 

というのは、音楽全体を見渡すのにはやはりピアノという楽器が私には都合がいいからである。恐らく、ベートーヴェンやモーツァルト、ブラームスといった元々ピアニストだった作曲家の作品を勉強し続けてきたことが大きいのだと思う。特に、ベートーヴェンは勉強になるから、彼のピアノ曲はうまく弾けずともやらないといけない。

それと、常に自分が演奏する曲のピアノ伴奏部分も必ず弾くようにしているのも大きい。ピアノ伴奏譜には、ピアノの音とヴァイオリンの音の両方が印刷されてあるから、曲がきちんと見えてくる。こうしてピアノの動きも頭に入れたうえで自分のパートを覚えている。

 

で、こういった作業がまるで読書に近いようなのです。

だから、生来の活字好きで本の虫であるはずなのに、音楽をすればするほど本が読めなくなる。

 

こんなジレンマを抱えていたのだけれども。

 

このところ、アルバム作成などで作曲のペースが上がったからなのか、日々即興も発表し創作行為に身を置いているからなのか、

 

作曲しながら、読書も楽しめるようになってきました。

これは、非常に喜ばしいことであるから、こうして日記に記している。感覚が戻ってきて良かった。

 

ちなみに、私は文庫本が好きです。枕元でも出掛ける鞄の中でも、身近にいられるから。

写真は、読みかけのロシア文学。トルストイの「アンナ・カレーニナ」とお気に入りの栞。あぁ、この読み耽る時間の楽しいことよ。

 

そんな、今日でした。

『傷』 2020.0609

どうも、傷心のアイティです。

先日発売したアルバム『我儘なソリスタ』は実は、第二弾まで考えていてそこまでを今期の活動としたいと思っています。なので、皆さまにお買い上げいただいた直後ではあるが、私は一人黙々と第二弾の制作作業へと突入しておるのだ。

 

この度の録音はさ、私の部屋で、ヴァイオリンとピアノを重ねて録っていくという方式でやっているのですが、これ、ほんとに無修正なんですよ。だって、そんな予算も技術もないもの。かろうじて多重録音だけはできる機材があるからやれているだけで、あとはひたすらノーミスで弾ききるしかない。

この、ノーミスってやつが厄介なんだよ。

 

ライブだったら聴こえない、指を置く音。指を離す音。

 

こんなのも、ぜーんぶ拾っちゃうんだものなぁ。

 

今夜はですねぇ、いけそうなテイクが録れた!と束の間喜んだ挙句に致命的な一か所、これさえなければいけたかもしれないのに!それに、今夜録ったもう1テイクもわりといけるのに、弾いている間にアクションが大きかったのか、機材に身体が当たってしまい、それは聴くと別次元の衝撃でしかない。和やかに聴いている心に有り得ないほどの衝撃を与える衝撃音だ。なんなの。これやったの私だよ、なんなんだよ。

 

ヤクザな生き方を突っ走る生来芸術家な私としてはここで酒に走るなどといった行為に陥りたいものの、小心者ゆえそれも難しい。というか、最近始めた朝ランとその直後の温冷交互浴のセットによる疲労でそもそももう眠い。

 

あぁ、またがんばるぜ。

写真は、幼い頃からのずっとお友達。

 

そんな、今日でした。