Notes

Diary.2019 May

 

『初』 20190501

『肩』 20190502

『動』 20190503

『二』 20190504

『三』 20190505

『々』 20190506

『時』 20190507

『泣』 20190508

『好』 20190509

『同』 20190510

『富』 20190512

『弾』 20190513

『薔』 20190514

『譜』 20190515

『選』 20190516

『大』 20190517

『楽』 20190518

『源』 20190519

『屋』 20190520

『家』 20190521

『肝』 20190522

『撥』 20190523

『黒』 20190524

『諦』 20190525

『神』 20190526

『弾』 20190527

『厭』 20190528

『逆』 20190529

『小』 20190530

『面』 20190531

『雨』 2019.0601

6月になりました。梅雨の季節です。

だから、というわけではないが、今日は私は自作の「雨女」のレコーディングだった。ヴァイオリンで弾くのと、歌うのと両方。

それぞれ、調と構成が違うし、雰囲気も違う。これが、とても楽しい。

 

いろんな可能性が拡がるんだなぁ。

 

私はまだ、録音機器や録音の仕方について、全く素人でなにもわかっていないんだけど、弾いた感じや曲の雰囲気でエンジニアさんが出してくれるアイディアがとても面白い。おかげで、ヴァイオリンと歌と全く違うものが出来上がりそうだ。それに、このように体験してみると、これから自分が作っていけそうな曲のイメージも湧いてくる。「雨女」の他にもいろいろと書けそうな気分になってきた。マイクによってもとても雰囲気が変わるんだもの。生のコンサートとは違う音楽の作り方。

 

今回は、全く特性が違う2本のマイクを使った。

それぞれで拾った音をミックスすると、とても面白い音楽になりそうだ。

 

あとで、今日の録音を聴いてみるのが楽しみだ。そこから生まれてくるアイディアたちがきっといるから。早く彼らに会いたいな。

 

そういえば、今日は山には行ってないな。それどころじゃなかった。

「雨女」歌入りフルバージョンやります。ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

 

『面』 2019.0531

今日もとみーとパガニーニ・ミーティングスのリハーサルだった。

公開の場でも、とみー、と呼んでしまっているけど、本名富川勝智。クラシックギタリストでは有名な人です。

 

とみーは、今日も面白かった。

が、何を話したか覚えていない。そんなことより、私はパガニーニの自分のパートが難しいのだ。そもそも超絶技巧がポンポン出てくるし、ギターの合いの手がまた妙な具合に書かれていて、あぁパガニーニとはいかに奇人であったのか、思い知らされる。

特に、日本で演奏された記録がないというある曲が大変なことになっている。

 

けど、面白い。

 

あ。面白かった、と思ったのはおしゃべりじゃなくて、曲を仕上げていく道のりだったのか。そうだな、難しくてしゃべっている暇なんてそんなになかったものな。

 

で、合間の休憩に私は昨日から始めた逆立ちをして、とみーに「それ、逆立ちじゃないよ。」と言われたりしていた。いいんだ。数十秒ですっきりするんだから。

それにしても、パガニーニは弾けば弾くほど楽しいなぁ!気持ちがいい軽い運動をしているみたいだ。もっとこんな感じが大きくなるといいな。

 

写真は、夏部屋になった我が家に珍しい、ギターの足台。クラシックギタリストには必須なんだな。

 

そんな、今日でした。

こっちもがんばるぜ。ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

 

 

 

 

『小』 2019.0530

写真だとそう見えないようだが、私は背が低い。

 

正直に告白致しますと、152cmしかないです。

 

小さいよね。

 

演奏しているときも割合大きく見えているようですが、ハイヒールは苦手だから本番の靴は踵があまり高くないし、どちらかというと偉そうに尊大な態度で弾いていることが大きく見えるその理由ではないかと思う。

 

で、背が低いということのデメリットを幼いときからこれ以上ないほど享受して生きてきているので、「私は小さいから、〇〇ができない」と言えるような物事がそれなりにある。

例えば、ちょっと混んでる電車内でのつり革。届かないよね。(これは私に限った話ではないかもしれない。)

一番、小人だなと感じたのは夕方のJR新橋駅のホームで周囲がサラリーマンの男性方ばかりだったとき。右も左も上も下も見えなかった。人が多い時間帯だとそういうこともある。

 

で、この小ささは実生活においてまた不具合を発揮してくれる。

例えば、押入れや作り付けの棚の上部や奥は全く役に立たない。椅子などに乗ったとしても、これまた短い腕では届かない境界線の向こうという世界があるのだ。(脚立は苦手なので使いません。)

 

なんですが、今日は夏にむけて若干部屋を模様替え。練習部屋の床のじゅうたんを剝ぎ取り、押入れの天袋になんとか突っ込んだ。この天袋は突っ込むことと引っ張り出すことしかできないから、中はぐちゃぐちゃというより他がない。

この作業を、他の部屋においてもやってかなきゃ。

 

物事は、大きいほうが便利だよ。そう書こうとして「大は小を兼ねる」ということわざを思い出した。なんだ、私なんかがぐだぐだ書かなくたって、私たちには素晴らしい文句があったじゃないか。バカだなぁ。

 

そんな、今日でした。

写真は、剥ぎ取った床で大活躍してくれたルンバです。

夏仕様の部屋で音楽やってます。ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

『逆』 2019.0529

ついさっき思いついて試してみたことなのですが、

何かというと、

 

練習の合間に逆立ちをする。

 

これがとても良さそうだった。

 

前にもいつかの日記で書いたとおり、楽器を弾くことと心身のバランスを整えることはつながっていると思っていて、日々里山散策に出かけたり朝散歩を行っているのも、全てそのためなのです。外に出かけられないときは、部屋の観葉植物を愛でていたり、とかね。

で、昨今の私は何しろパガニーニという恐ろしい人の作品群に向かっておるので、そういったことをより考えております。

 

小休止を入れながら練習するのだが、そこでストレッチをしたり軽い体操をしたり。で、その取り組みに簡単な逆立ち(といっても腕で支える筋力はないから頭で支える)を取り入れてみたら、いいですね。脳の働きも良くなるかのような感じがする。

脳の働きというのも不思議だな。

最近気が付いたけれど、演奏には動体視力の良さも必要ではないか、と思うし、人の認知の9割以上は視覚情報によるもので聴覚情報からは少ないんだよな。音楽家はきっとそれが多いんだろうけど、人本来の機能としては視覚からの認知を脳はしやすいわけであるから、それを工夫したほうが楽に演奏できるんじゃないか、という気がする。少なくとも練習するときはそうだ。楽譜の見方によって演奏はずいぶん変わってくる。そしてその楽譜を見ることは動体視力も実は大きく関係しているのではないかなと思う。音楽の流れにより耐えず動く手の動きと併せて譜面を見る、というのはその辺の能力も関係していそうだ。

 

とか、そんなことを思いながら過ごしているので、毎日練習部屋と山との往復なんだがこれはこれでとても興味深く、楽しい。

 

写真は、山にある水車小屋。今日の山は実にいい空気と風だった。

そんな、今日でした。

ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

『厭』 2019.0528

おかげさまで昨日の神田 SHOJIMARU での演奏は、自分としても納得がいくものであった。そのせいか、今日は気分が良かった。天気は雨模様の関東地方だったが、私の気分はいくぶん晴れ晴れしかったのである。

 

とは言っても、やることに追われて気が付いたらもう夜だ。今日何をしたかって、朝は昨夜の就寝が遅かったこともありなかなか起きられず、遅い朝食を軽く食べて(ブランチってやつでしょうか)山に行こうとしたら予想より早い雨天となり引き返し、布団を取り込み、買い物に出直して、夕刻は楽器屋さんに出向いて、夜は練習とジムに行った。

そうしたら、もうこんな時間なのだ。

 

もっと練習したかったなぁ。明日は朝からいっぱいやりたい。何しろやりたいことだらけなのだ。弾けば弾くほど、欲が出てくる。何しろ、私は強欲な女なのだ。

この日記だって、なにもネタもないのに、毎日こうして発表し続けている。どういうことだ。

 

そういえば、最近移動中には書き物をすることにしてみた。私の「雨女」のお話しをいろいろ考えているのです。このお話しも早く作っていきたい。面白いもので、作るというのは、作ることを日々の癖のように自分に課しておくと何かしら出てくるものなのですね。司馬遼太郎が、毎日書いているとアイディアが湧くけれど、書くことをやめると出てこない。10日やめるともうだめだ。というようなことを言っていたらしいですが、なんとなくわかるような気がしています。

作曲もそうだと、思うんだよな。

だから、日々の練習に加えて、創作行為も同じように楽しみたい。

 

なんだけど、自分でお話しを書いていると、己の文章力の浅さに辟易するのでした。なんじゃこりゃ。やんなっちゃうよ。

写真は、お昼ご飯のパスタ。炭酸水と。

 

そんな、今日でした。

練習の成果を見せてやるぜ! ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

『弾』 2019.0527

今日(というか昨日だ)は、神田 SHOJIMARU で演奏してきました。

演奏した曲目は以下の通りです。

 

My Favorite Things 

Message in a Bottle/ The Police

ガヴォットとロンド/バッハ

オペラ「イーゴリ公」より「ポロヴェツ人(韃靼人)の踊り」/ボロディン

There Must Be An Angel / Eurythmics

 

今日はまた、自分としては面白い発見があったなぁ。

エコーのかかり方を聴いていると、その残響や響き方から、弾きなれたこの曲のスタッカートをもっとこうしよう、バッハのこれはもっとこういうテンポにしよう、など、それまでに思ってもいなかったやり方が見えてきて、その研究がとても興味深そうだ、ということ。

クラシック向けの会場で演奏するときも、もちろん会場により残響などは違うため(例えばすごく残響が長い教会とか)、そういったことも考えるのですが、

やはりライブハウスのエコーは、私には強烈な印象だな。

 

20分ほどの出番でしたが、今日もまた大変緊張していて、終わったら汗びっしょりだった。弾きながら上述のようなことを考えていたからだったかもしれない。

それにしても、お客様方が熱心に聴き入って下さってて嬉しかったです。ヴァイオリンの無伴奏でできることを、もっとやっていこうと思いました。スタッフの皆様、ありがとうございました。

 

さーて、明日からまたパガニーニがんばるぜ。今日はロ長調の音階さらったから、また違う調にして。何しろ、今度のパガニーニは調の変化が恐ろしいからな!

 

そんな、今日でした。お休み!

ここでは更に破天荒 ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

『神』 2019.0526

今日は、明日 神田SHOJIMARU で演奏する曲を練習していた。

いつものようにバッハとポップスを組み合わせた内容なのですが、

恐ろしく暑い今日の陽気、エアコンをつけていてもなかなかしんどかったな~。

 

なんとか仕上がって、ひとまず安心したのでした。

 

それにしても、このライブハウス活動。

ライブハウスでオープニングアクトやセットチェンジ時間で演奏させてもらうということもあまり例がないことだそうで、スタッフの方々がとても工夫して私の出番を作って下さっている。

明日も、そうなんだよね。

 

そうやって、「クラシックをいろんな方に聴いてもらいたい」という私のわがままに応えてもらい初めて可能になる、一つ一つの本番。

大事に弾きたいな、と思い練習していました。

 

明日の詳細は、以下のとおりです。

 

神田 SHOJIMARU

出演 魚住英里奈、Rinan 、田中幾子

開演20時(開場19時半)

入場料 2000円(ドリンク別)

私の演奏は、20:40から20分間です。

 

皆さまのご来場をお待ちしております。

 

 

写真は、子どものころから使っている譜面台。ボストンで買ってきたんだよね。スーパーで売っていた。

感謝でいっぱい。そんな、今日でした。

ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

『諦』 2019.0525

今日はいろいろと諦めた日でした。

 

最たるものは、ジムに行くことを諦めたこと。あとは、挙げればきりがない。

そもそも身体が弱いから、やりたいことをやりつくせないのだ。特に、このような気候の変動が大きいときには仕方ない。

と、自分を慰めています。

 

それにしても、最近の私の興味の対象は専らパガニーニ。それとカール・フレッシュである。

カール・フレッシュとは、ヴァイオリンの優れた音階教本を残した人であり、その人名が教本名となり(ハノンと同じ理屈ですな)、音階と言えばカール・フレッシュ、というのがヴァイオリン業界の常識である。(初歩者は小野アンナです。こちらも素晴らしいので、これをお読みの初歩者は丁寧にさらうこと。)

先日、ハイフェッツがパガニーニの協奏曲は録音しない、という肝が冷えた話をご紹介したが、このハイフェッツが恐ろしいほどカール・フレッシュ好きだったの。

毎日よくカール・フレッシュをさらったのですって。

 

ハイフェッツという人は、晩年にはマスタークラスを開講し、世界中から優れた若手が受講していたのですが、ここでのこれまた恐ろしい話がね、

 

入学して最初の1年は音階だけ。

 

どんなに弾けても音階だけ。

 

徹底して音階以外レッスンしなかったらしいの。。。

 

恐ろしい話だと思いませんこと!?

 

あとハイフェッツの恐ろしい話と言えば、ピアノもとんでもなく上手かったということだな。

やめてくれ。

 

あぁ、本音が出てしまう。普段は隠そうと努力しているのに、今夜はまるでだめだ。諦めるほかないや。

 

そんな、今日でした。今日も間もなく寝るよ。写真は、最近の山散策で見つけた木苺(だと思っている)。目の醒めるような愛らしさには、敵わない。

 

音階は披露しません。 ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

『黒』 2019.0524

こんばんは。

本日も眠くて仕方がない田中幾子の枕日記をお届けいたします。

 

8時半  起床。朝食後、練習をする。

12時  山に行く。

13時  帰宅、昼食。

 

今日の前半を書きだすと、こんなものである。

 

このあと、ジムでサウナに入るなりピアノの練習をするなりしているのですが、

結論としては、もう眠い。そして、既に寝間着に着換えている。正に枕日記と称して差し支えないであろう条件が揃っていると思われる。

 

で、案の定本日も音階セヴィシックの麗しい時間を経てパガニーニをさらっておりました。

 

不思議なもので、やっているうちに身体にすんなり入ってきている。これは、やっているうちに自分の理想形が見える感じ。現在のところの理想形なのだが、これが見えるとだんだんとその作品、その作曲家が好きになり興味が湧いてくるし、もっと弾きたくなってくる。

 

実は、中高生の3年間ほどヴァイオリンをやめていたという黒歴史をもつ私なので、再開してから10年ほどは恐ろしく下手くそだったし、それこそパガニーニのような超絶技巧は自分の生涯で触ることはない、と思っていたので改めて不思議だなぁと思う。

これが、理想形のイメージを持てないものは絶対に弾けるようにならないのだ。と私は自分自身について思う。

 

で、身体も虚弱だからか、奏法も独自路線を突き進んでいるところがあり、最たるものは左手の押さえる力をかけない、というところだな。指の力が弱いからそうしないと弾けないのだ。でも、ヴァイオリン奏法の基本は左手は指板を強く叩く(昔のソリストなんか叩く音が聞こえるくらいだったという)というところから始まるから、今の弾き方にしていくのも相当悩みもあったし、それこそ左手でピチカートをやるパガニーニは絶対無理だと思っていたのだ。

救いだったのは、私の先生も「押さえなくても音が鳴るから、いいのよ。」とおっしゃっていたこと。それと、旧ソ連の大ヴァイオリニスト、ミルシテインがそういった奏法を称賛していたという記事を弦楽雑誌で読んだこと。

それで、よりその路線で自分の奏法を開拓している最中でございます。

 

この路線を進むにつれて、

体力との兼ね合いや、本番の緊張感でできること、集中力。等々全体のバランスをよく考えるようにもなってきた。

なので、練習の合間を縫って体力増強のために里山散策にも出かけているわけです。

 

そうこうしているうちに、かのパガニーニにおいても理想形のイメージを抱けるほどになってきたことが、自分としても嬉しい驚きなのです。

 

ですが、今日は暑かったね。

 

だから、お昼ご飯は世間に甘えて楽しんじゃった。

冷凍のアクアパッツァ向け魚介類(半額であった)でパエリア。ビールだけは我慢してノンアルである。

加えて、インスタ映えするような写真まで撮ってしまった。(インスタに載せる予定はない。)

 

そんな、今日でした。おやすみなさい。

 新境地を開拓しております ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」