Notes

『弾』 2019.0513

今、 Yuuki くんの音源を聴いている。

来週20日に中目黒の楽屋(らくや)での彼のコンサートでヴァイオリンとピアノの両方を弾くから。(ちなみに6月16日に二子玉川ジェミニシアターでも開催される。)

 

ピアノを最近丁寧にさらっているから、少しずつイメージが膨らんできている。

いろんなリズム。静と動。

 

私はこのリズムってやつが音楽の中で最も好きな性格だ。

 

ヴァイオリンでできるリズムとピアノでできるリズム。その聴こえ方。効果。

 

まるで違うと思うから、その違いを味わえるのも楽しい。

 

こういうポップスでの即興的な音楽をやっていると自分の創作にとてもいい影響がありそうな気もしている。なんてったって、全部その場で作っていくんだから!

 

そういうところが、楽しい。

 

こう書きながら、Yuuki くんの音源は終わり、今私はバルトークを聴こうとしている。あぁ、やりたいなバルトーク。あの、可愛くないところがいいんだよな。

写真は、まだ病み上がりな私のおなかに優しくできたシチュー。

 

そんな、今日でした。

ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

『富』 2019.0512

お待たせ致しました。田中幾子でございます。

 

いやぁ、驚きました。

 

昼間まで元気にリハーサルしていて何事もなかったのに、急に発熱したと思ったら38度まで上がるんだもんな。しかも翌日も下がらない。おかげで楽しみにしていた「雨女」のレコーディングが延期になってしまった。(でも日程はすぐ決まりました。良かった。)

ま、でも熱以外の症状もなく、今日は無事に社会復帰できました。

ご心配おかけした皆さま、お心遣いありがとうございます。

 

で、今日は寝込んでいたぶんを取り戻すためのバタバタデーとなり、夜はとみーのところで会議に参加していた。といっても参加者は私ととみーの2人だけだが。

議題は、我らの「6月9日 パガニーニ・ミーティングス」のプログラムについてである。

 

とみーはですな、非常に面白い男で

今回のためなのかよく知らないが、パガニーニのデュオ曲の楽譜をいつの間にか、あれこれかなり買い込んでいて、それがまた日本では初演なのでは??と思われるようなものもいくつかある。そうでなくても、パガニーニをわざわざヴァイオリンとギターのデュオでやる人は少ないというのに、更に初演レベルときたら話題性だけはたっぷりだと思わざるを得ない。

それで、その中から選んだ曲の楽譜を私にくれた。

 

ほんとに、くれたんです。しかもヘンレー版。

 

(ヘンレー版とは、クラシック界においては印籠のような楽譜とも言えると思っている。アカデミックなこの世界においてかなり重用されるヘンレー社による原典版のことです。)

 

なんでも、「持っているのに間違えてまた買っちゃった」(よくある)現象らしい。

 

とは言っても、楽譜もらうのは嬉しーよね!しかも、ヘンレー版だぜ!

 

なので、私は今大層大喜びなのである。

 

そういえば、人生で楽譜をもらったことは2度目じゃないか。。。?1度目は、ずいぶんと前に「イザイを弾いてほしい」と言われて頂いた。そんなことされたらそりゃあがんばるさ。あぁ、昔ボーナフ先生に先生が出版なさった練習曲集を頂いたな、あれも嬉しかったな。今でも大事にしている。

 

あ、私に楽譜をくれた人は(今のところ)みな男性だ。

 

く~、とみーは私の3人目の男か。

 

なんてつまらん結論に至りながら、本日の田中幾子は終了でございます。

 

そんな、今日でした。

こっちでもパガニーニは弾いてるソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

『同』 2019.0510

今週末は予定が多い。

日ごろの私に比べたら、ということなのだが

 

今日は Yuuki 君という歌手の男の子とリハーサル。今度、彼のコンサートでヴァイオリンとピアノを担当することになったのです。(日時は News をご覧ください。)

明日は、私の「雨女」をレコーディング予定。明後日はとみーとパガニーニ・ミーティングスのリハーサルである。

 

ポップスの音楽というのは、楽譜にはコードしか書かれていないことが多く、どういう音をどういう雰囲気で弾くのかという情報は一切書かれていない。まぁ、即興の要素が強いんですね。コードの音ばかり弾いていてもつまらないから和声外音をどう入れようか、そこの工夫が面白いのかな、と思う。

 

ご存知のとおり、クラシックは偉大な作曲家が残したものを正確に弾くところから始まるわけですが、この正確に弾くということがそもそも大変難しい。昔、初めてベートーヴェンのヴァイオリンソナタに取り組んだときに出てきた彼特有の連続したスフォルツァンドや、突然のピアノなど、実際に弾くとなるといかに難しいのか痛感したのでした。それを経て基礎テクニックの向上により取り組もうと思ったのだったな。

 

で、即興的に創り上げていく音楽とクラシック、と考えていくと

 

本質的には、変わらない。

と、思うんだよな。

 

例えば私が大好きな仲良しのピアニストとやっていると互いの息や意思でどんどん音楽が熱狂的になっていく。タイミングも違う。どういくのか、ぐいぐい変わっていったりする。そのくらい「いっちゃえる」演奏ができる同士というのが一番の友達だと私は思っている。

もしかすると私の先生がおっしゃっていた「作曲家の言葉を借りて自分の考えを言う」、というのはこういうことかな、と思ったりする。何しろ、歴史に残る優れた言葉なのだから、それを借りるというのはすごいことだ。

 

で、創りながらやる音楽というのも、やはり同じ部分があって、その空気感を共有し合えれば思ってもみなかったメロディやリズムが自分の内側から勝手に出てくる。要は遠慮しないということというような気がする。案外やれば慣れるものなのかな、コード記号はまだあまり読めないけれど。

そんな面白さを感じながらリハーサルして、夜は明日のレコーディング用に(今まで全く書いていなかった)譜面を自分用に書き起こしたら案外手こずって。

 

と、そんな今日でした。

「雨女」の実演はこちら  ソロコンサート 2019 0707「青の時代 vol 3」

 

『好』 2019.0509

今日も、例の山に行ってきた。

何せ、生まれ持った身体の弱さが活動への邪魔であるので、強靭な肉体を求めているのだ。

 

と言っても、そこまでの強さは求めてはいない。

 

私が手に入れたいのは、

自分が弾きたいものをちゃんと弾けるだけの身体。きちんと準備と練習ができる身体。

今は、それがぎりぎり手前だから、弾きたいものを我慢している。

 

演奏も体力勝負なんだねぇ。共演する方で「体力だけはあります!」とおっしゃる方々が羨ましくて仕方ない。そばで拝見していて、あぁ、その体力が私にもあれば、あんな練習してこんな練習して違う方向の勉強して逆からもやって。。。とできたら、思う存分弾けるだろうにな。。。と、切なくなったりする。

考えてみれば、一昨年くらいから演奏活動を始めてみたものの、体力のなさゆえに迷惑をかけてしまったこともあった。それについては本当に反省している。

ただ、自分の体力に合わせていては、いつまで経っても変わりはしない。

 

うちは、家族みんな身体が弱いのだ。病気じゃない、ちょっとした弱さの積み重ねがいくつもあって、母は昔から今でも「こんなに弱くてやっていけるのかしら」と娘たちを心配している。

 

そんなわけで、今の住まいから近い距離にある自然の里山に通って肉体の鍛錬を図っているのです。おかげさまで、最近は発熱が少なくなったし、いわゆる不定愁訴も少し楽になってきた気配がしている。

で、その里山には竹が多いんだ。

 

多い、というのは私の主観。他の山を知らない。あ、竹がある。という印象。

 

竹。

 

私は、竹が好きなんです。

 

真っ直ぐ伸びて、色が美しい。竹の葉が奏でる風の音は優しく美しい。

あぁ、いい音だなぁ。葉っぱが細いから、儚く音が消えゆく。さっきギターのとみーとのパガニーニ・ミーティングスのコンサートのお知らせをアップしたばかりだけれども、この儚さはクラシックギターみたいだとも思う。消え方が美しい。

 

好きな植物、と聞かれたら「竹」と答えるな。

 

最高に、癒してくれるから。

 

これで、身体が強くなった暁には。やりたいことをやるんだ。今は100分の1もできちゃいないんだからね。

 

そんな、今日でした。

なんといっても、このためにがんばっています。2019年7月7日 「青の時代 vol 3」

 

『泣』 2019.0508

自覚はないのだが、相当活字中毒な人間であって、気が付いたらいつも活字を追っている。

個人的に好きなのは、ちょっとした箱に入っているお菓子についてる能書き。

昨今はこの能書きが、ただのパンフレットと化していることも多いのですが、私はぜひ文章を読みたい。創業の歴史なり製法へのこだわりなどが美しい言葉で書かれているのですよね。あぁ、お菓子への愛情っていいな、と思う幸福を感じられる。

 

ま、私の小学生時代は薪でなくランドセルを背負いながら本を読むという二宮金次郎ぶりであったので、やはり活字中毒者と言える育ちなのかもしれない。

 

で、そんな私が好きな書物のうちの一つに辞書がある。

 

例えば、私の持つ英和辞典の「spring」の項を見ると、動詞としての跳ぶ、おどる、はねる、といった意味のずっとあとに名詞として跳躍、飛躍、跳ね返り、などが続き、そのあとに泉、源泉、そして温泉、春、と来るわけであります。

こういうのを読んでいると、

春という季節と、春に見られる現象とが同じ言葉として用いられているかのようで、

心密かに「ほぉ~~~っ。。。。」と感心するし、

この楽しみに延々と浸っていたい。。。

という欲求に駆られるのです。

 

でも、そんな時間はない。私は練習しないといけないのだ。

なので、泣く泣く書を閉じ、練習部屋へと戻る毎日である。

 

そんな、今日でした。

 

楽しみを犠牲にしてがんばっているソロコンサートのお知らせ 20197月7日「青の時代 Vol.3」

Diary 2019.April

『昨』 20190401

『図』 20190402

『栗』 20190403

『眠』 20190404

『再』 20190405

『雨』 20190406

『尊』 20190407

『気』 20190408

『苺』 20190409

 

『耐』 20190410

『終』 20190411

『記』 20190412

『外』 20190413

『大』 20190414

 

『失』 20190415

『練』 20190416

『無』 20190417

『弱』 20190418

『吉』 20190419

『脱』 20190420

『好』 20190421

『和』 20190422

『風』 20190423

『力』 20190424

『難』 20190425

『疲』 20190426

『踏』 20190427

『清』 20190428

『呑』 20190429

『去』 20190430

『時』 2019.0507

私の日常をお伝えするという名目のこの漢字日記なのですが、

私の日常といえば、

 

夜は眠い。

 

昼は練習。

 

それしかない。

 

ヴァイオリニストというキラキラしていそうな職業でありながら、

美しく映える写真を撮れるような場所には滅多に出入りしないし、そういった飲食物も口にしない。

 

私の実態と言えば、今日も音階を練習し、ギターとのパガニーニをさらい、ピアノのハノン教本に感動し、バッハの舞曲を弾いて楽しかった。

そんなものである。

 

というわけで、本日も実に地味な一日を過ごしたのだが、ちょっとした試みを始めた。

それは、時間を決めて練習するということ。

 

何せ、練習する内容が多く、多岐にわたるものだから、

それぞれを納得するまでやっていると体力も気力も崩壊してしまうのだ、ということを最近認識した。

なので、制限時間を決めて全てその範囲で行う。

 

これはこれで、今までとは違う集中力が磨かれそうなので、初日としては満足した次第であり、その過程でどうしてもバッハの舞曲を弾きたくなってある意味遊んでいたのであります。

なんだかね、このパルティータ2番の舞曲たちは心と耳を洗うよね。。。

 

そして、今は普段はほとんどBGMをかけないのだが、珍しく流し聴きしているのはチャイコフスキーのオーケストラ作品。私は特に4番交響曲が好きだ。この人の音にある変な奇妙な濁りが大好きだ。それこそが人生だ、と言いたくなるのだ。チャイコを聴きたくなったのは、パガニーニのデュオをさらったからだろうな。幼い頃に楽しかった子供向けの作品エア・ヴァリエのような楽しい旋律がたくさん、その頃に楽しかったバレエで踊ったチャイコフスキー。

そんな、時の流れが私もある。

 

そんな、今日でした。

 

『々』 2019.0506

昨日のソロコンサートで、私のこの全世界向け公開日記についてお話しした。おかげさまでいろんな方々にお読み頂いているようで、素直に嬉しい。

何しろ、赤裸々に日常を綴っているのだからな!

 

しかし、ふと思った。

 

本当に、赤裸々なのだろうか?

 

リアルタイムに事実をそのままお伝えしているのは、恐らく私の例の

「眠い」

だけなのではないだろうか。。。

 

思えば、人生で眠くなかったときはあったのだろうか。

 

しばしば思い出すのは、高校のときだ。

 

私は学校で、それはよく寝たものだったなぁ。受けた授業時間で起きていた時間より寝ていた時間のほうが長かったのではないだろうか。

で、立たされるのですよ。

 

そうしたら、

 

立ったまま、寝ていた。

 

これはすごい。私は高校卒業からあとは立ったまま寝たことがない。この高校時代だけだ。どうして、そのようなことが可能だったのだろうか。今になってもわからない。

 

しかしなんといっても、授業中に寝てばかりいる娘に対して両親は叱るどころか、自らの学生時代における武勇伝を語ってきかせる人たちであったから、私も気にしないままこんこんと寝続けていたのだと思う。

 

これ以上この話題を続けると、両親の過去についてまで赤裸々にお伝えすることになってしまいそうだ。それは我が家の家庭不和を招きそうであるのでこのくらいでお許し下さい。

 

でまぁ、もう例のごとく眠いのですが今日の写真は気がついたら結構溜まっていた、とみーとのデュオの譜面類。今週末に6月9日のリハーサルです。これのために、今日は音階から練習していた。音階最高。

そんな、今日でした。

次回ソロコンサートは、7月7日七夕です。「青の時代 vol 3」

『三』 2019.0505

本日は、「青の時代 vol 2」でした。お越しいただいた皆様、ありがとうございました。

田中幾子は、たくさん弾き、歌い、そして、もう、いない。

もう、人でなくなっちまったよ。

 

なんだろう、この自分の境界線がなくなった感じ。。。

 

思えば、帰り道からそうだったな。電車の椅子に座ったとたんに形がなくなってしまったんだよな。

 

そのくらい、出し切った。

 

のでした。

 

しかし、おかげさまで第3回目も決まり(7月7日の14時開演でございます。今日より30分早いのでお間違えなく!)、それに6月9日は戦友とみーとのパガニーニデュオ。

だもので、明日からはその練習にとりかかります。

で、ダイエットも明日からなの。。。今日はご褒美に近所の評判のケーキ屋さんで2つも買っちゃった。

 

そんな、今日でした。

『二』 2019.0504

明日はソロコンサート「青の時代 vol 2」なのですが

明日の結果次第では、その次はないかもしれない。

 

そんなことも考えながらやっています。

 

幸い、そのあとも出演予定の演奏会はあるし、そのほかにも演奏予定のもの、練習しないといけないものは山積みなので音楽は続けていけるのですが、

やはり不安というものも常にあるのですよね。

 

練習で使い果たしてしまう性分だから、そのあと楽器のお手入れをしていると疲れてそういうことを考えてしまったりする。

私の楽器はイタリー製(弓はフレンチ)なんだけど、作られてからまだ30年ほどしか経っていない、いわゆる新作というやつで、お値段もこういう世界の中では「張らない」ものであります。

なんだけど、この楽器になって今度の夏で2年。

この楽器になってから、たくさんのこと、出会いと音楽があり、それはこれからもっと未来につながっていくと思っている。

これになったから、バッハのシャコンヌを弾き始めたんだよな。

 

それにしても、ずいぶんいい色になってきたなぁ。初めの頃はもっと黄色かった。楽器屋さんによると、この楽器のニスは「よく弾くといい色になる」らしいです。そこの社長さんに言われたものね、「よく弾いてますね」って。楽器見ればわかるんだって。嬉しい。

 

だから、この楽器のためにも明日はがんばろう。もっと美しくなってもらうために。

そんな、今日でした。

ソロコンサートのお知らせ 2019.0505 「青の時代」 Vol.2